横浜名物シウマイの崎陽軒は、なぜ「崎陽軒」なのか?
【ライター望月の駅弁膝栗毛】 「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。 【写真全10枚】大正4(1915)年頃の崎陽軒(横浜工場・見学コース内に展示)
JR線、東急東横線、みなとみらい線、京浜急行線、相鉄線、横浜市営地下鉄が乗り入れる横浜駅。いつ訪れても多くの人が駅構内を行き交い、首都圏でも有数の活気のある駅だと感じます。そんな横浜駅の中央通路の真ん中で早朝から夜遅くまで営業している駅弁売店でも、常に多くの人が何かを買い求めています。横浜をはじめ、首都圏各地に店舗を展開するこの業者は、いったいどのようにして生まれたのか、トップに伺いました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第50弾・崎陽軒編(第2回/全6回)
明治5(1872)年、新橋~横浜間で始まった日本の鉄道。当時の横浜駅はいまの桜木町駅でした。横浜駅は大正4(1915)年、いまの国道1号・高島町交差点付近へ。続いて、昭和3(1928)年に現在の場所へ移転しました。横浜~桜木町間は長年、東海道本線の支線となっていましたが、いまから60年前、桜木町~磯子間が開業して「根岸線」となり、昭和48(1973)年には大船まで全通。京浜東北線との一体運転が行われています。 まだ横浜駅が桜木町にあった明治41(1908)年に、横浜駅の構内営業者として創業した株式会社崎陽軒。とくに首都圏にお住まいの方にとっては、横浜名物シウマイやシウマイ弁当でおなじみですね。「駅弁屋さんの厨房ですよ!」の第50弾は、株式会社崎陽軒の野並晃代表取締役社長にお話を伺いました。いったい崎陽軒は、どのようにして生まれ、どのように発展していったのでしょうか?
<プロフィール> 野並晃(のなみ・あきら) 株式会社崎陽軒 代表取締役社長 昭和56(1981)年8月30日生まれ、神奈川県横浜市出身(42歳)。大学卒業後、ビール会社勤務を経て、株式会社崎陽軒入社。令和4(2022)年5月、お父様(野並直文3代目社長・現会長、日本鉄道構内営業中央会会長)の後を継いで、4代目社長に就任。