横浜名物シウマイの崎陽軒は、なぜ「崎陽軒」なのか?
●関東大震災で社屋焼失、それでも立ち上がった崎陽軒!
―この「匿名組合崎陽軒」の支配人となったのが初代社長・野並茂吉氏ですが、曾孫にあたる晃社長にとっては、どんな方でしょうか? 野並:正直、会ったことのない“歴史上の人物”といった印象ですが(笑)、茂吉は若くして崎陽軒の社員となり、自ら調理場に立って、玉子焼きを焼き上げていたといいます。また、鉄道関係者やほかの構内営業者の方との関係を築き上げてきたという記録もあります。崎陽軒の経営が軌道に乗るように、さまざまな努力をしていたのだろうと思います。 ―大正4(1915)年開業の2代目横浜駅ですが、8年後、大正12(1923)年9月1日の関東大震災で焼け落ちてしまいます。崎陽軒はどのような対応をされたでしょうか? 野並:弊社の社屋も焼失いたしました。しかし、すぐに立ち上がって営業を再開し、横浜駅のホームでカレーを1皿15銭で販売しながら復興に取り組んで、飛ぶように売れたという記録があります。茂吉は地域のリーダーとして震災復興に大きな役割を果たす(注)なかで、(戦前には)神奈川県会議員を務めたこともあるといいます。 (注)野並茂吉氏は、東京鉄道局新橋運輸事務所管内立売営業人組合の組合長も務めており、崎陽軒の復興に尽力する一方で、罹災した管内の構内営業者のもとを、激励してまわったとする文献もある。
かつて、鉄道構内営業で販売された弁当は、普通弁当(幕の内)、特殊弁当(ご当地の特産などを使った弁当)、寿司などがあり、普通弁当の様式も決まっていたとする文献もあります。崎陽軒が草創期に販売した上弁当、並弁当も、普通弁当の一部だったのかも知れません。じつは今も崎陽軒では、「幕の内弁当」(1150円)を製造・販売しています。幕の内には駅弁屋さんの個性が出るので、旅先ではあえて選ぶことも多いんですよね。
【おしながき】 ・俵型ご飯 小梅、黒胡麻 ・昔ながらのシウマイ3個 ・赤魚の照り焼き ・とんかつ ・海老フライ ・鶏の唐揚げ ・筍煮 ・煮物(人参、里芋、蓮根、椎茸) ・蒲鉾 ・香の物