「レーストラック」を楽しもう!アリゾナ州ハバスシティで大人も子供も参加するNASCARイベントを体験
アリゾナ州ハバスシティには、今もなお「ワイルドウエスト」の精神が息づいている。夏には気温が約49℃に達する街で、車の登録費用は40ドルと割安。近所をドライブすると、どの家のポーチにもアメリカ国旗が掲げられ、RV、ピックアップトラック、ボートがそれぞれの家に停まっている。まるで天国のようだ。 【画像】「携帯電話をいじること以外にも人生には面白いことがもっとある」ファミリーで楽しむモータースポーツ!(写真11点) 友人のスティーブ・フォスターはNASCARレーサーを10台も所有しており、それらをすべて自宅に保管している。誰もが同じことを考えるだろう「彼の隣人にはなりたくない」と。 そんな彼がハバス95スピードウェイで開催される土曜日のレースに招待してくれた。彼のNASCARを友人たちにも運転させてエキシビションレースで走らせるというのだ。ガソリン代を払うことと、車をトラックに載せるのを手伝うことが条件だという。 実際、どれくらい大変なのだろうか? そこで私たちも手伝うことにした。ハバスはNASCARでレーストラックまでの道(もちろん公道)を運転しても誰も文句を言わない場所だ。 まず、みんなで協力して車を家から出す。オイルを交換し、タイヤに空気を入れ、バッテリーを交換。’74チャージャーを始動させるためには、スターターフルードをキャブレターにスプレーする必要がある。このチャージャーはジム・ヴァンディバーの車で、完全なオリジナルの状態だ。モーリス・ペティによってレースに勝つために作られたエンジンで、デイトナスピードウェイを出た当時のままのタイヤが装着されている。エンジンが目覚め、地面が揺れる。約7000ccのNASCARヘミエンジンはまさにビーストだ。スティーブが車を家の前の通りに出し、みんなでトラックに向かう。その後はピットに着いてから、燃料を補給し、すべてが正常か確認するという計画だ。そして午後1時には練習走行に出る予定である。 「なぜこんなに多くの車を持っているの?」とスティーブに尋ねると、こう答えた。 「面白いことに、車が自然に集まってくるんだ。4年前に南部のレーサーから1968年のペティトリビュートカーを遊びのために買ったんだ。それを修理してコーヒーアンドカーズに持って行こうと思っていた。でも、ハバスにはレーストラックがあって、しかも誰もヴィンテージストックカーを走らせていないことがわかったんだ。それでトラックに行くようになり、オーナーのビル・ロゾンに出会ったんだ。彼は、もし複数台の車を集められれば、スペースを確保すると言ってくれた」 「それからカーティス・ターナーの’65ギャラクシー、ジョージアのレーサーから’52シボレー、改造された’36シボレー、ダートトラック用の’54シボレーを手に入れ、東海岸から来たヒルクライムチャンピオンの’67 GTOも入手した。気がついたら十分な台数が揃っていて、ビルは私たちをプログラムに組み込んでくれたんだ。唯一の条件は、車が安全であること。そのためには新品のタイヤ、ブレーキ、ハーネス、そしてドライビングスーツが必要だった。私の目標は、さらに何台か車を買って友達に売り、独自の“ジェントルマンレース”を開催することだった。でも、それは実現せず、結局ただ単に多くの車を持つことになったんだ」 ハバス95スピードウェイのオーナー、ビル・ロゾンがこの施設を購入したのは18年前。当時はただのダートトラックだったが、彼は舗装し、安全フェンスを設置して準備を整えた。彼は一般の人々を楽しませることと、レースを家族のスポーツとすることを重視しているそうだ。土曜日のレースでは、フラットカート、アウトローカート、トラック、そしてCam-Amヴィンテージミジェットとスプリントが開催される。車好きには盛りだくさんの一日になるだろう。 ビルはゴルフカートで私を案内し、数人のドライバーと彼らの車を紹介してくれた。彼の1968年ジム・カルバートスプリントレーサーに座っているスティーブのところで停まる。この車は、かつて西海岸で最も成功した車の一つであり、四度のチャンピオンに輝いたジム・ウッドがドライブしたマシンだ。 次にジョンを紹介された。彼は妻と一緒に1984年のスーパーモディファイドオーバルトラックカーを走らせる準備をしていた。エンジンは車体からオフセットされており、本来のレギュレーションは無視した車のようだ。彼らはクォーターマイルから2マイルのトラックでレースを行い、その速さはまるでロケットのようだった。 ビルのチャンプカーは1980年代初期に製造された車で、400~700馬力を発揮する。フェニックスレースウェイのような1マイルのコースを走るために設計され、長いホイールベースと60ガロンのタンクで50周分の燃料を積む。元々はダートトラックを走っていたが、現在は舗装用にセットアップされている。ダートで走るなら、泥まみれになる覚悟が必要だ。 全てのドライバーが、アメリカとカナダを巡るシリーズの一員で、シーズン中には20レースを走る。各レースには20~25台の車が参加し、ライバルはみんな知り合いだ。唯一のレギュレーションとなるのは右後ろのタイヤ圧のハンデで、その硬さが競争力を保つのに役立っている。また、車は実際にはトランスミッションが搭載されておらず、基本的に「オンかオフ」で動作するため、プッシュスタートが必要だ。 ピットを歩き回ると、これがファミリーイベントであることに気付かされる。家族全員で車の整備をしているからだ。父と娘の二人三脚でカートを組み立てているチームもある。彼女はレーシングスーツを着てレンチを手に持ち、シリンダーヘッドを外してピストンを引き抜いている一方、父親はカートの反対側で作業している。メンバーが夫婦とその息子で構成されているこのチームは、カートをジャッキスタンドで持ち上げ、息子の足が車体の下から突き出ている。父親はトレーラーから部品を取りに行き、母親は手に部品を持って邪魔にならないようにしている。彼女は「今は忙しいの」と言う。みんな真剣なのだ。 今夜はトラックでカートレースも行われる。6歳や7歳のドライバーも出場するようなレースだ。トラックオーナーのビルの孫娘のテイラーは、10歳だがすでに4年間レースをしており、レーシングスーツを着て準備万端。ビルは「スタンドから子供たちを連れ出し、レースに参加させるんだ。携帯電話をいじること以外にも人生には面白いことがもっとある」と話す。 午後1時になると、スティーブと彼のストックカーは練習走行の準備を始めた。ナンバー2のモンテカルロだけジャンプスタートが必要だが、他の車はもうすべて出発準備が整っている。スティーブは'74ジム・ヴァンディバーのチャージャーを運転。オリジナルのタイヤは硬く、サスペンションは200mphのデイトナオーバル用にセットされているため、コーナーを回るのは大変だ。 ファイヤーボール・ロバーツの1957年製フォードを運転するのはビル・フォルマー。312ci V8エンジンにパクストンスーパーチャージャーを搭載しており、ボンネットには300馬力と書かれているが、実際には375馬力に近い。オリジナルの車は数年前に廃車にされてしまったが、ロバーツ家とチームメンバーの協力で、完璧に再現された。ダッシュボードには革のストラップがあり、これがコラムシフターがギアから外れるのを防いでいる。また、フロントタイヤを見るためのパネルを開けるロープが付いており、ファイヤーボールはレース中にフラップを引いてライトを点灯させ、タイヤの摩耗を確認していたという。 元ケビン・ハービックの1997年製ACデルコモンテカルロを運転しているのはジミー。355ciスモールブロックエンジンを搭載し、2015年のワトキンズグレンSVRAヴィンテージグランプリで最後に走行したロードレースカーだ。全員が無事にピットに戻ってきたが、モンテカルロのエンジンはミスファイアしてしまっていた。ボンネットを開けると、プラグコードが溶けているのがわかった。どうやら誰かがコードをエキゾーストに近づけすぎたらしい。すぐに近くのパーツショップで新しいプラグコードを調達することができたため、再び走行できるようになったのが不幸中の幸いだ。 予選後、ドライバーズミーティングが行われ、ビル・ロゾンから「ゴルフカートに関して少し問題がある。本来ここにゴルフカートがあるべきではないが、持ち込むことを許可した。しかし、子供たちがそれでふざけているという報告があった。誰も怪我をしてはいけないんだ。わかるだろ?」と警告があった後、「さあ、今夜は良いレースをしよう。では、全員トラックに車を持ってきて、ミートアンドグリートを始めよう」と言われた。 これはおそらくこの夜で最もエキサイティングな時間だ。カートも含めて、すべての車両がフロントストレートに並べられる。観客はスタンドを離れ、ドライバーに会い、車を間近で見ることができる。ボンネットが開かれ、希望すれば車に座ることもできるし、ビールを隠す必要もない。ロゾンは、特に子供たちがレースに参加し、関わることを望んでいる。日曜日には子供たちのためにカートを走らせ、その子がレースが好きかどうかを試すこともできるのだ。 午後5時45分になるとトラックはクリアにされ、午後6時には国歌が流れる。全員が立ち上がる中、夕日の黄金の光が砂漠の雲を通して差し込む。バーベキューの香りが漂う。スプリントカーがラップを走ると、いよいよ次はスティーブと彼のストックカーの番だ。ヘルメットをかぶり、スタジアムのライトが点灯した。レースの時間だ。彼らはムスタングのペースカーに続いてトラックに入るが、すぐに誰がリードしているのかわからなくなる。何度か追い越しはあったが、衝突などのアクシデントはなく、全員が各々のペースでコースを走った。観客席は熱気に包まれている。10周はあっという間に過ぎ、全車が無事に完走。 最後の車が停車した途端に、雨が降り始めた。車のカバーを取り出し、急いで車を覆う。窓を閉めることはできないため、中が濡れてしまうのだ。 日曜日の朝、私たちは地元のダイナーに集まり、朝食を取った後、スティーブの家に車をキャラバンで戻す。トラックからわずか5分の距離なので、公道を運転して数回往復する。しかし、モンテカルロを待っている間に1時間が経過した。何も連絡がない。すると、一台の車が走ってきた。どうやら道路の真ん中でガス欠になったらしい。地元の消防署が交通を封鎖し、ジミーがレース用燃料を取りに行く間、交通を迂回させていた。 今週末、記録を更新することはなかったが、この美しいスポーツを守ることができたということが重要だ。ハバス95スピードウェイは、この砂漠の街のオアシスであり、家族を一つにする場所なのだ。天国にレーストラックがあるなら、きっとこんな感じだろう。 Words and photography: Evan Klein
Octane Japan 編集部