『ぼくのお日さま』奥山大史監督インタビュー。ハンバートハンバートの楽曲、池松壮亮との出会いが与えたもの
子ども時代の記憶を覚えているうちに
―初期衝動というのは、ご自身の経験をベースにして作品をつくるという意味での衝動でしょうか? 奥山:そうですね。創作するうえで、「つくりたい」と思う衝動は人によって違うと思いますが、自分は子どもの頃の思い出や想像を映像にしたいと思いました。 子どものときに考えていたけれど忘れてしまったことを思い出させるような映画にしたい、という気持ちがあるんです。自分は子どものころの記憶が比較的人よりも明確に残っているほうで、「あのとき何をした」といったことに限らず、「あのときあんなことをあんな風に考えていた」みたいなことをよく覚えているんです。もしかしたら皆さんも同じくらい覚えているかもしれないですが。 子どもってじつはめちゃくちゃ考えているし、大人が想像するよりも理解しているし、いろんな感情を持っています。だからそれを描きたいと思いました。同時に、自分自身も人並みの忙しさに呑まれていくうちに、当時の記憶を忘れはじめているという自覚もありました。これからどんどん忘れていくだろうという予感もあったので、覚えているうちに撮りたいという思いもありました。 ―奥山さんは子どものころ、どんなことを考えているお子さんだったんですか。 奥山:『イエス様』のとき、自分が子どもの頃に感じていた気持ちを結構出したので、今回はフィギュアスケートを主にストーリーラインに反映しています。子どものころの記憶だと、たとえば「誰かを好きになる」ということ一つとっても、それが「憧れ」なのか、恋愛対象として「好き」なのか、友達に対する「こいつと一緒にいたいな」という気持ちと変わらないのかもしれないとか、よくわからない感じがありましたよね。そういった部分はもしかしたら反映されているかもしれません。 あとは建前が、すごく嫌だったという記憶があります。大人の、本人がいるところといないところで、言うことが全然違ったりするのとか、とにかく苦手で。さくらのお母さんは基本的に建前で話す人で、子どもから見たときの大人の嫌なところをうまく山田さんに演じてもらえたと思います。 ……そんな子どもだったはずなんですが、いまは、めちゃくちゃ建前で生きています(笑)。 ―年を重ねるとそうなってしまいますよね(笑)。