戦場カメラマン・渡部陽一インタビュー「紛争地に入るときは、恐怖で震えています」
THE PAGE
イラク戦争に従軍した実在の米軍の狙撃手をモデルにした映画『アメリカン・スナイパー』(2月21日公開)の公開を前に13日、都内で同映画をテーマとしたイベントが行われた。イベントでは、カメラマンとしてイラクで目撃した戦場の現実について語った渡部氏。イスラム国による邦人人質事件やフリーのカメラマンに対する「旅券返納命令」などをきっかけに、ジャーナリストの役割や紛争地取材の是非が議論されるなか、THE PAGEは、イベント終了後に渡部氏に話を聞いた。 【動画】シンポジウム「日本人拘束事件とジャーナリズムに問われたもの」 ※インタビュー動画は本ページ内の動画プレイヤーでご覧頂けます。 以下、インタビュー書き起こし ── 戦場カメラマンとしてイラクを取材されていますが、そもそもなぜイラクに? 渡部:僕がもともとイラクという国とつながったきっかけというのは、サダム・フセイン元大統領が主宰する、国際報道写真展だったんです。それまでは、つながりはなかったんです。イラクの首都バグダッドで、フセイン元大統領が、国際報道の写真家のいろいろな作品の展示会を開く、そこに呼んでもらったのです。 そこで、イラク戦争のもっと前の段階ですが、写真を持ってイラクに入り、現地の人々との出会いや、そこでの暮らしぶりを記録に残したことが、イラクに関わった入り口ということになりますね。
── 戦場カメラマンとして紛争地に入るとき、「怖い」と感じるものでしょうか。 渡部:僕自身は、いつも現場にむかうときには、恐怖で震えています。眠る事もできなくなってきます。そうした、自分自身の恐怖心や、少しでも気持ちを平常心に戻すためには、僕自身は、必ず現地のガイドさんや通訳の方、セキュリティーの方、チームを組んで前線を動いていくことが、取材の入り口となっています。 英語でコミュニケーションをとる場合でも、イラクはアラビア語圏で英語が通じない。でも、必ず英語を話せる方がいて、信頼ができるチームを作る。通訳の方、身を守ってくれるセキュリティーの方、ガイドさんと、(チームとして)動いていく。 必ずガイドさんの言葉に従うこと、取材を欲張らないこと、退く勇気を持つこと。これが、僕にとっての危機管理の最大の、力のウェイトを占めています。取材活動のすべてを100パーセントとすると、そのうち80パーセントは、取材の段取りや準備、何かが起きたときの避難経路を複数確保しておくこと、現地の情報収集や、取材することを許してもらう許可証であったり申請書、自分自身のヒストリーの申請。段取りを組むことに、8割のすべてを費やしています。残りの20パーセントは、現場での撮影技術であったり、動き方。この危機管理を徹底させることが、自分自身の恐怖心を克服する、はじめの一歩の力となっています。 ── 取材の過程で、「退く力」とは? 渡部:これだけの期間、これだけのデッドラインまでに、これだけの作品を上げる、という締め切りのような概念にとらわれないようにしています。1週間のスパンだけだ、というわけではなく、コツコツ、コツコツ、1回目がだめなら2回目だ、と次々とシフトしていく。取材するための「段取り」が準備できていなければ、その取材を1回退いてリセットしてしまう。もう一度、段取りを組み直す。コツコツと取材を組み立てていくことが、僕にとっての、取材の入り口となっています。