「井上尚弥がいたから今の俺がある」今夜2年7か月ぶり世界戦に挑む”激闘王”八重樫東の覚悟
11月1日からジム近くのワンルームマンションで一人暮らしをしてきた。 朝は、野木丈司トレーナーの指導のもと階段を使っての過酷なラントレ、午前中にジムでフィジカルトレーニングを行い、午後にジムワーク。家庭を離れてのボクシング漬けの生活を続けてきた。 「自分のことしか考えない状況を作りたかった」 約2か月の間に家に帰ったのは2度だけ。電話もしない徹底ぶり。次女は八重樫が家を出るとき泣いていたという。 奥さんからは、「学校の書類はどこにある?」「送り迎えできない?」と、SOSの連絡もあったが、心を鬼にした。 「僕もつらいし、家族もつらい。昔は息子のため娘のため、子供たちのために頑張ろうと思っていた。基本、今も、その気持ちは変わらないが、今の心境は自分のため。エゴイストじゃないが」 長男は中2になった。 「中2にもなると、親の言葉は、さほど聞いていない(笑)。でもね。見ている。親の姿は、こういう仕事だから、なおさら目に入る。あいつに教えられるのは姿でしかない。言葉はいらないんです。”何かに一生懸命であることは、恥ずかしいことでないんだよ。何かを手に入れるためには、一生懸命やらないと手に入らないんだよ”ということを教えるのは言葉ではなく、お父ちゃんの姿なんです」 八重樫は、36歳の年齢から一度、練習を休むと感覚を失い、取り戻すのに時間がかかるからとギリギリまでハードなトレーニングを続けた。肉体と精神をとことん研ぎ澄ましてきた。 覚悟はある。 負ければ引退か? ストレートに聞くと顔をくしゃくしゃにした。 「12月23日以降のスケジュールはない。ノープラン。次の日からの人生は、この試合が終わらないとわからない。23日で僕のボクシング人生は一度、終わる。その先の新しい八重樫がどうなるのか。この試合でしかわからない」 勝ってもスケジュールは白紙? 「ただ勝ち逃げはしない。ベルトを持った人間の責任であり、世界戦の事情は色々と知っていますから(笑)。チャンスをもらったからこそ、そこからの恩返しがある。キャラクター的に綺麗に終わるボクサーじゃない。ネクストマッチがあるなら、そこへ挑戦していくのが自分らしい」 大橋秀行会長は「勝てば4階級も」と次なるプランを掲げた。 「今回、勝てば、その望みも出てくるのかなと」 八重樫もまんざらでもない。 井上尚弥がWBSSの決勝でノニト・ドネアを激闘の末、破ったことで、大橋ジム全体が活気を帯びている。井上尚弥の高校時代のスパー相手を八重樫が務めたのは有名な話だ。5年前に井上尚弥がスーパーフライ級に転級してからはやらなくなったが、モンスターと拳を交えた日々は、激闘王・八重樫を2年7か月ぶりに世界戦リングへ立たせる確かな礎となった。 「尚弥の存在は、もはや刺激ではない。スパーリングをしたのは、尚弥がライトフライ級時代だけど、その経験があったからこそ、引き上げられた。あいつがいないと、こんなに長くボクシングをできていないと思う。こいつにスパーでも絶対に負けたくねえと思った時期もあった。ぶっちゃけやりたくはなかったが、負けたくないとやってきたからこそ、今の俺がある。あの兄弟のおかげで強くなれたのは、事実。これは本当。みんなでスパーしたが、僕が一番年上。だからこそ絶対負けたくねえと思っていた」 八重樫は解説席に座る井上尚弥にリング上からどんなメッセージを送るのか。 「武士道が勝つか。アフリカ系の身体能力が勝つか。我慢比べになったとき、自分が何を考え、どうするのか。耐えられず手が止まるか、このやろうと我慢して勝負にいくのか。そのときの自分を見てみたい。そこで心が折れるならボクシングを続けていても意味がない。粘り勝ちするのが八重樫、そこが僕のスタイル、全部を出せば、いろんな意味で納得し、勝利という結果に落ち着く。自分の持ち味で勝つのが一番楽しいでしょうね。だから楽しみ」 決戦のゴングは数時間後。ムザラネは一発のパンチ力はなく、攻守の切り替えをしながらスタミナ消費を避けるため、おそらく終盤まで試合はもつれ、足を止め合っての壮絶な殴り合いになるだろう。最後まで立っているのは八重樫。横浜アリーナに感動のドラマが待っている。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)