「井上尚弥がいたから今の俺がある」今夜2年7か月ぶり世界戦に挑む”激闘王”八重樫東の覚悟
2017年5月にミラン・メリンド(フィリピン)に1ラウンドTKO負けをして、IBF世界ライトフライ級王座を失った。そこから、8か月、ジムへも行かなかった。 「辞めようと思って練習にいかなかった。もういいかなあと思ってやる気がなくなっちゃった。燃え尽きたというか、ここからどうしていけばいいかわからなくなった。子供もいたし、とりあえず、安定も必要だった。主夫をしていました」 その間、京口紘人、木村翔、村田諒太らが世界王者となった。 「人の試合を見てもなんとも思わなかった。”俺だって”とは思わなかった。昔は、おいてけぼり感があったものだが、悔しさもなかった。競技者として何も思わなくなったら、もうダメなんだろうなと。すっからかんだった」 だが、自分には最終的にボクシングしかないことに気づく。 2018年3月に再起戦。4階級制覇を新たな目標に掲げていた。同年8月には世界戦経験のある向井寛史(六島)との「引退か、世界戦か」を賭けたサバイバルマッチにも7回TKOで勝った。 「4階級制覇は、あくまでも名目。そう言わないと戻ってこられない気もした。またライトフライ級でと言っても、えーと思われるのも嫌だったしね。実際、ボクシングができれば何級でもよかった。世界タイトル戦の事情って15年もやっていればわかります(笑)。向井に勝ったときは、スーパーフライ級で、4階級でも行けるかな?と思ったけれど、割り込んでいけるランキングではなかった」 その後、WBC世界スーパーフライ級王者、シーサケット・ソー・ルンヴィサイ(タイ)への挑戦が内定したが、シーサケットが防衛に失敗して話は流れた。以降、世界戦の話は出てこず、今年4月に復帰3試合目を行ったが、不思議と焦りはなく、モチベ―ションの維持に苦労しなかったという。 「ジムに行かなかったときの自分は死んでいた。でも戻ってきた。年に1、2試合くらいしかできなかったし世界戦の話もシーサケット戦がパーになってからなかったけれど、そこへ向かう時間、”俺は生きている”という実感があった。もう後がないのはわかっている。だから今の時間を大事にしたい、というのがモチベーションだったのですかね?」 2年と7か月の時間も長くは感じなかった。 「世界戦をやりたいという気持ちがなかったわけではないが、それよりもトレーニングや技術に新たな発見があったり、やりたいことが出てきたりして、ああでもない、こうでもないと、やっているうちに時間が過ぎた。感覚的に長い、とは感じなかった。逆にもう試合か?という気持ちですよ。あっという間だった」