「大活躍のちケガ」を繰り返し…今季で現役引退の巨人・梶谷隆幸(36歳) 同期入団の親友が見た“ケガと向き合い続けた”野球人生とは?
肩への注射は、ゆうに100回を超えた
2017年、梶谷は20本塁打20盗塁を達成した。この20-20は、直近5年の達成者はおらず、10年でみても6人しか到達していない。そんな活躍の裏で、右肩はほとんどボールを投げられないほど悪化していた。 試合前のシートノックに入った回数はわずか3回。肩の状態は一向に良くならず、翌2018年の春には、10メートルしか投げられない状態になっていた。 「あの時は、肩も不安だったけど、それ以上に俺の立場も危うかった。下からいい若手も伸びてきていたし、休めなかった。だから、ごまかしながらでも、なんとかやるしかなかった」 肩の可動域を広げる注射、痛み止めの注射を打った回数はゆうに100回を超えた。 たまに会って話をした時は、医者かと思うくらい、肩の筋肉や関節の構造、痛み止めの薬の種類から効能、効いてくる時間や副反応について詳しくなっていた。1日に投げられる限度は、数回。それも、本来投げられるはずの強いボールは投げられない。キャッチボールもせず、守備練習にもつかず、常にぶっつけ本番の毎日。8月にデッドボールを受けて右手尺骨を骨折したタイミングで、ようやく手術に踏み切った。 「シーズン中に戻れないことがわかって、どうせなら肩も一緒にやろうと。でも、不安の方が大きかった。果たして、戻る場所はあるのかって」 2020年、横浜DeNAベイスターズ最終年は、新型コロナウイルスの影響で短縮シーズンながら109試合に出場して140安打を放ち、打率.323を記録。20-20を達成した2017年と比べ、安打の数を16本増やしながら三振の数を約半分にするというモデルチェンジに成功し、キャリアハイの数字を残す。同年オフにFA権を行使することを表明し、読売ジャイアンツに移籍した。 「もちろん横浜でやり抜くのがいいに決まっている。でも、環境を変えることで自分がもっと成長できると確信があった。環境が変われば、周囲の人間関係も変わる。いろんな見方や、いろんな意見を受け入れて、もっと自分が成長できる。居心地の良い場所を離れて、もっと自分を追い込んでみようと思った。それが人間として最も成長する道だと思った」 梶谷が横浜で歩んだのは、決して平坦な道のりではない。6年間の二軍での下積みを経て、DeNAベイスターズ初代監督の中畑清氏によってようやく才能を見出されるも、ミスを連発。それでも根気強く起用されるうちに、才能が開花。その後のアレックス・ラミレス監督時代には、「セ・リーグで最も優れた打者」と言わせるまでに成長し、掴み取ったFA権。選手としてはもちろん、人間としてのさらなる成長を求め、新しい環境に挑戦することを選んだ。
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