「大活躍のちケガ」を繰り返し…今季で現役引退の巨人・梶谷隆幸(36歳) 同期入団の親友が見た“ケガと向き合い続けた”野球人生とは?
巨人移籍1年目で決断した、腰の手術
「同じ野球、同じセ・リーグ。特にやることは変わらない」 2021年シーズン、巨人移籍後の初安打は開幕カードの古巣DeNAを相手に満塁ホームラン。「巨人の梶谷」をこれ以上ない形で印象付けた。もともと、何かに気負ったり、余計なプレッシャーを感じたりしないタイプである。 前年と変わらない安定した活躍をするものの、5月に左太ももを負傷し登録を抹消、1カ月後に復帰するも、7月の阪神戦でデッドボールを受け骨折。復帰を目指していた9月に、高校時代から抱えていた腰痛が悪化した。 「17歳からずっと腰は悪かったけど、ここにきて初めて足が痺れ出した。ブロック注射やあらゆる治療をしても、ダメ。9月のこの時点で手術に踏み切れば、来年の開幕には間に合う。だから、ごまかしながらではなくここで治そうと決めた」 椎間板ヘルニアに、脊柱管狭窄症。腹筋、背筋が強すぎるために、脊椎が潰れ、神経を圧迫していた。通常は、60歳以上の高齢者に多い症状である。それだけ強い負荷をかけ続けてきた反動だった。移籍1年目でいきなりの手術となったが、その後も続いていく野球人生を考慮し、勇気を持って手術に踏み切った。 「腰の回復は結構順調で、むしろ膝がだんだんおかしくなっている感じで。日々の治療もほぼ膝のことばっかり。そんな中で、本当に軽く、50%も出力しないランニング中に、急にガクン、と。本当に、左膝が、落ちたと思った。立ち止まって左膝を触って確認して、あれ、落ちてない、みたいな。でも、そこから歩くことができなかった」 腰のリハビリによる長期の空白期間は、体中の小さい筋肉、あらゆるセンサーをわずかに緩ませた。長い年月を積み重ねてつくりあげた強固な体を取り戻すには、また長い時間をかけたトレーニングが必要だった。微妙に緩み、崩れたバランスのまま動かした体にかかる負荷は左膝の半月板に集中し、割れた。再びの手術。この1年も、復帰することは叶わなくなった。 「そりゃ、いろんな思いがあった。FAで移籍してきて、ほぼリハビリ。なんとかしたいけど、なんともならない。毎日、ジャイアンツ球場に行って、治療して、上半身のトレーニングをして、帰るだけの毎日。正直、野球を見たくなかったし、実際ほとんど見なかった。自分のチームの順位も知らなかった」
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