航空機の死亡事故を激減させた「ミスを処罰しない」業界ルール
完璧でないことは、無能に等しい?
医療研究の専門家ナンシー・バーリンジャーは、著書『After Harm(医療事故のあとで)』で、自分のミスを病院に報告する際の医師や医学生の言動を調査した。その結果は驚くべきものだった。 「医学生は、指導者であるベテラン医師たちが、ミスの隠蔽は正しいことだと信じ、それを実践している姿を見て学ぶ」とバーリンジャーは言う。 「つまり医学生は、予期せぬ結果について説明するときは、『ミス』ではなく『複雑な事態』が起こったと言うべきだと学んでいるのです。しかも、患者には何も言わないままに。情報開示に対する医師たちの抵抗は根深く、非開示の慣習を正当化しようと限りない言い訳を並べる者もいます。 『些細なことです』『よくあることです』『患者に言っても理解できませんよ』『患者が知る必要などないじゃないですか』」 よく考えてみてほしい。医師や看護師は、通常、不正直な人たちではない。人をだましたり誤解させたりするためではなく、人の命を助けるために医療の道に進んだ人たちだ。医師は詐欺師のように話をでっち上げて患者や遺族をだますわけではない。 彼らのやり方は、いわば婉曲法だ。「技術的な問題が生じた」「複雑な問題が起こった」「不測の事態だった」。どれも少しずつ真実が含まれているが、真相を明らかにはしていない。 しかし、医師が真相を明らかにして患者に正直に接したほうが、結果として医療過誤で訴訟を起こされる確率が下がるという皮肉な調査結果もある。 ケンタッキー州レキシントンにある退役軍人省医療センターが、「情報開示」方針を導入したところ、裁判費用がそれまでと比べて急激に下がった。また別の調査では、医療事故被害者の約40%が、十分な説明と謝罪を受けたことで告訴に踏み切るのをやめたという結果が得られた。 注目すべきは失敗そのものではなく、失敗に対する「姿勢」だ。医療業界には「完璧でないことは無能に等しい」という考え方がある。失敗は脅威なのだ。 内科医のデイヴィッド・ヒルフィカーは『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』に寄稿した記事にこう書いている。 「患者が医師に完璧を期待するのも、我々の自負の強さが間違いなく影響している。自負というよりも、自分に必死で言い聞かせてきたことと言うべきかもしれない。この『完璧』はもちろん、壮大な錯覚だ。みな、歪んだ鏡を見ていて、本当の姿は見えていない」 医師たちが回りくどい表現でミスから意識をそらそうとするのは、まわりの評判を案じるからだけではない。ミスは、自分のプライドすらも激しく脅かす。 医者に限らず、政治家が政策に失敗したときも、ビジネスリーダーが戦略に失敗したときも、あなたの友人や同僚も同じだ。あなた自身もときどき使うのではないだろうか? 私も例外ではない。医療業界のこうした現状は言葉遣いばかりではなく、データにも明確に表れている。 アメリカ国内で実施された、医原性損傷(診断・処置のミスによって起こる損傷)に関する疫学的調査によれば、受診1万件につき、44~66件の深刻な損傷が起こっているという。しかし、アメリカ国内の200以上の病院を対象に調査を行ったところ、上記のデータに見合う損傷数を報告した病院は全体の1%にすぎなかった。 しかも50%は、受診1万件につき5件未満と報告していた。この結果が正しいとすれば、大半の病院が組織的な言い逃れを行っていることになる。