土砂災害がたびたび起こる広島 建設された砂防ダム106基と、とどまる住民の思い
ここで生活する以外ない
安佐南区は1960年代後半から1980年代にかけて山間部の大規模な宅地開発が進んだ。とくに八木・緑井地区は鉄道も走っていることから、サラリーマン世代がマイホームを求めて流入した。その世代の多くはいま高齢者になっている。
同地区に住む70代男性は土砂災害の被災経験はないが、この地にとどまり続ける理由をこう語る。 「津波は一帯をすべて面でさらっていきますね。それと違って土石流は渓流地形からちょっと離れると無傷の家もある。もちろん不安もありますが、ダムもできましたし、生活に支障のない家が残っている以上、ここで生活する以外ないでしょう」 移転できない理由として、経済事情をあげる高齢者も多い。安全な地域で大金をかけて自宅を建てたとしても、あと何年生きられるか分からない。それゆえ、二の足を踏む。 地元にとどまるぶん、地域との関わりを深めようとする人もいる。八木地区で被災し、今もこの地に住む松井憲さん(70)もその一人だ。2014年の災害前は会社員で、平日は働きに出ていたこともあり、地域との関わりはなかった。災害で自宅は床下浸水の被害を受けたが、そこで意識が大きく変わったという。 「ボランティアとして災害復旧に関わりながら、やがて自分がこの地域の一員であることを自覚するようになったのです。ただ、当時は60代前半で、この土地に長く暮らす年配のかたからすれば若者同然。とけ込むにはやや難しい面もありました」
2016年、松井さんは被災した仲間と共に、八木地区に被災体験を語り継ぐ拠点「復興交流館モンドラゴン」を立ち上げた。モンとは「山」、ドラゴンは「竜」。モンドラゴンは「竜のすむ山」という意味だ。松井さんは、古くからの住民と新しい世代の住民が絆を深められるようにここで活動をしている。 「災害と隣り合わせに暮らす住民として、この地域で暮らすことの意味を次世代につなげたいと思っています。災害後に分かったことなのですが、この地域には土石流の被害を想起させる竜や蛇にまつわる伝説が残っていました。その事実も土地の古い先輩に教えてもらったのです」