記憶を失っても、感情は残り続ける。脳科学者・恩蔵絢子が認知症の母から 教えてもらった“自分らしさ”とは
言葉では簡単に言いがたいところに自分自身がある
――そのように考えるようになったのも、お母様との思い出がきっかけなんですよね。 思春期の頃に、すごく悩んでいた時期があったんです。人からどういう風に見られるかをすごく意識していて、「こんなことを言ったら馬鹿だと思われるんじゃないか」と思って、苦しくなって。偏差値という一つの指標で自分の価値を測られることも苦痛で、学校に行けなくなってしまって……。 その時に母が「どういう能力であれ、あんたはあんた」って受け入れてくれて、その瞬間にいろいろなことが大丈夫になったんです。数学が得意な人間が私、ではなく、こういう曖昧な笑顔を浮かべるのが私。言葉では簡単に言いがたいところに自分自身というものがある。 そして、認知症になったとしてもその部分は最後まで失われないんです。そう考えたら、認知症という病気も少しは怖くなくなるのかなと。 ――認知症になってからのお母様とのエピソードの中にも、そのことを強く感じる場面がありました。 今回の本では、母が亡くなった時のこともお話ししました。 亡くなる前日、母は私から目を離しませんでした。「あなたに興味がある」っていうことを最後まで示してくれていました。認知症になっていろいろなことを忘れてしまっても、娘の私に対する思いや感情はずっと残っていたんです。それは私と母とを繋ぐ一番大事なものだったので、そこが残っていたならもう大丈夫だと思えました。 ――認知症になっても「感情」は残り続けるんですね。そのような言葉にならない“その人らしさ”や大切な人と共有している何かを見つけるためには、家族など近くにいる人が細かく想像力を働かせながら見てあげる必要があります。 そうですね。それは認知症の人や老年期の人に限らず、誰にとっても大切なことです。 父も、母を亡くしてから元気がなくなっちゃったんですけど、父が興味を持ちそうなことを私が考えてちょっとずついろいろ勧めていたら、ピアノを始めたんです。音楽が好きだった母の影響もあると思うんですけど、すごく生き生きしてきたんですよね。