「ゲーム」と「SF」が、これからの社会を考えるうえで「重要な意味」をもつ理由
アニメやゲーム、映画の中だけの出来事だった「仮想現実」や「仮想空間」。 それらを「現実」のものにする革命的技術・メタバースの名が広まって早数年、VRやスマートグラス、Apple Vision Proが登場し、その存在はより身近なものになりつつあります。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 しかし、そもそも私たちはなぜメタバースに、仮想空間という「もう一つの現実」に行ってみたいと思うのでしょうか。 そこには人間の根源的な、ある「欲望」があるのではないかと、哲学者の戸谷洋志さんは分析します。 戸谷さんの新著『メタバースの哲学』から、私たちの未来を変えるかもしれないメタバースの「正体」に迫るヒントをご紹介します(『メタバースの哲学』の一部を抜粋・再編集しておとどけします)。 【前の記事】「20世紀最大の女性思想家が語った「地球疎外」という考え方…それがいま「大きな意味をもつ」理由」より続きます。 *
メタバースとは何であるのか
なぜ私たちはメタバースを求めるのか。それを明らかにすることが、本書のテーマだ。しかし、そうした議論を展開していくためには、その出発点として、メタバースの概念そのものを厳密に定義することが必要である。それが本章の課題である。 最初に断っておかなければならないが、メタバースに関する統一的な定義はない。また、少なくともメタバースは、完全な形態としてはまだこの世界に存在していない。したがって、現実に存在する何らかの事物を根拠にして、実証的にメタバースを説明することはできない。 そのため本章では、メタバースに対する端的な定義を述べることは諦め、この概念が生まれてきた歴史、現在において存在するいくつかのプラットフォーム、メタバースの理想像、またそれを支える技術としてのVRについて多角的に検討することで、メタバースとは何であるかを立体的に浮かび上がらせていきたい。
メタバースの源流はSF小説
「メタバース」という言葉の最初の用例は、明確に特定することができる。1992年にニール・スティーヴンスンによって発表された、『スノウ・クラッシュ』という小説が初出である。この作品は、発表されてからすでに30年以上が経過しているにもかかわらず、今日においても大きな影響を及ぼしている。たとえば、後にも述べるが、2010年代にヘッドマウント・ディスプレイに革新をもたらしたオキュラス社のパルマー・ラッキーは、同作のファンであることを公言している。 物語は近未来のアメリカを舞台とする。主人公は、特殊な機械によって「メタバース」と呼ばれる仮想空間に入り、物理空間とは異なる人生を歩んでいる。メタバースでは、コードがそのまま法として機能するため、ウイルスやハッカーの存在が社会的な秩序を破壊する重大な脅威となる。物語は、アバターを制御不能にするウイルス「スノウ・クラッシュ」をめぐって、主人公の活躍を描く形で進行していく。 ただし、『スノウ・クラッシュ』はメタバースという言葉を発明しただけで、それに相当するテクノロジー─すなわち人間が、何らかの機械によって、物理空間とは異なる仮想空間に参入し、そこで物理空間とは異なる人生を歩むこと─は、もっと前のサイエンスフィクション作品においても描かれている。 たとえば、1982年に公開された映画『トロン』では、主人公が、物質変換装置によってコンピューター内部の世界に送り込まれ、レース競技に参加する様子が描写されている。また、その2年後に公刊されたウィリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』では、電脳空間に直接脳を繋ぐこと(「没入」)で、人間が仮想空間へと移動し、そこで別の生活を送る世界が描かれている。この作品は、「サイバー・パンク」と呼ばれるジャンルを確立したことでも知られている。 以上は、サイエンスフィクションにおけるメタバースをめぐる潮流であるが、別の分野の潮流として無視することができないのは、ゲームの世界である。 1970年代、欧米ではテキストベースのオンラインゲームが流行していたが、ある意味でそれは、ネット上の仮想空間での交流を可能にするテクノロジーであり、メタバースの原型とも呼べるものだろう。 1980年代には、多人数同時参加型ロールプレイングゲーム(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game:MMORPG)がPCゲーマーの間で遊ばれるようになる。 その代名詞とでも呼ぶべき作品「Habitat」(1986年)は、仮想空間を舞台に「アバター」を使って他のプレイヤーと交流したり、トークンで購入したアイテムでアバターを着せ替えたり、マルチプレイのゲームをしたりできた。