世界と戦う日本代表選手らを笑顔に 栄養面でサポートするプロジェクトのリーダーが語る「原点」
そこで、栗原は自社の事業についても見直した。 「当時はスポーツに関する事業は、まったくありませんでした。唯一あったのが、『アミノバイタル』というスポーツサプリ、アミノ酸のサプリメントを扱う事業でした。ほかに医療用の点滴の輸液として使うものもあって、世界のシェアの6割くらいを占めていました。だけど、病気の人にしか使ってもらうことができない。もっと利用者を拡大することを考えると、健常体でありながらアミノ酸の摂取を必要とするような、体にダメージを負っている人と言えばスポーツ選手ですよね。そのために開発されたのがアミノバイタルでした」 栗原はまだ名古屋勤務だったが、週末になると東京へとやってきた。 「スポーツ界での人脈が、私にはありません。それをつくるためには神宮球場に行くしかないと考えました。東京六大学の開幕に合わせて、東京と名古屋を行き来しました。もちろん、交通費は自腹です。プライベート用の名刺をつくって、野球界やそれ以外の競技関係の方に配りまくりました」 お礼の電話をし、再会のお願いをすることで知り合いの輪が少しずつ広がっていった。栗原の"課外活動"は、入社2年目から4年間続いた。 「時には、野球やサッカーをしている子どもの保護者を対象にした勉強会にも出ました。そこで私はアミノ酸について話すんですが、みなさんが興味を持っているのは食事のこと。『どういう食事をつくれば背が伸びますか』とか『うちの子は食が細いんですが、どうすればいいですか』とか。そして最後に『味の素さんならわかるでしょ?』と言われました」 栗原はこの時、保護者がいろいろな悩みを抱えていることを知ったのだ。 「でも、私には食事や栄養についての知識が不足していました。味の素の看板を背負っている以上、中途半端なことはしゃべれません。分厚い専門書を読みまくり、実践で栄養の知識を身につけました。それが私の原点です」 【日本代表を栄養でサポート】 入社5年目の夏、東京に転勤。2003年に始まった『ビクトリープロジェクト』に、栗原は少し遅れて参加。2006年冬季に開催されるトリノオリンピックに向けた活動を任された。