見ず知らずの女性を襲った男は遺体を風呂場に運び…犯人のデジカメに残っていたあまりにおぞましい行為
■急浮上する男の正体 調べを進めていくと、山口県下関市にある住宅設備会社で働いていたYという男に辿り着いた。Yは事件発生の09年当時、実家のある下関市を離れ、浜田市に隣接する島根県益田市にある一軒家を、勤務先の社宅兼事務所にして住んでいた。 ただ彼は、Mさんの遺体が発見された2日後の09年11月8日に、山口県の中国自動車道で単独事故を起こして、同乗していた母親とともに死亡していたのである。享年は33歳だった。 Yについての調べを進めたところ、彼には性犯罪の前科があることが判明する。28歳だった04年8月に、東京都杉並区の路上で連続して2人の女性をナイフで脅して押し倒しており、その半年前にも福岡県北九州市で、通行中の女性に刃物を突き付けて体を触るなどしていた。これら計3件の強制わいせつ事件の罪に問われ、懲役3年6月の実刑判決を受け、服役した過去があったのである。 関係先への捜査が行われるようになったのは16年の夏頃からで、Yの勤務先の本社などには捜査員が赴いていた。 さらに、同年の初秋には、Yが住んでいた益田市にある一軒家が、異例ともいえる10日間以上の家宅捜索を受けており、この段階で彼の容疑は固まっていたとみられる。そのことは近隣のガソリンスタンドに、捜査員がYの写真を持って現れ、給油記録の閲覧を求めていたことからも明らかだ。 ■デジカメに残されていたデータ 16年12月20日に合同捜査本部が置かれていた島根県警浜田署で開かれた記者会見では、Yのものだとされるデジカメと、2ギガバイトのUSBメモリーが関係者により任意提出されていたことが説明された。 それらのなかに残されていたデータはともに静止画で、デジカメに38枚の画像と、USBメモリーに19枚の画像の計57枚の画像が入っており、そのうち重複分を差し引くと、異なる40枚の画像が存在するとのことだった。 画像はいずれもすぐには見られない状態になっていたとの説明から、データの復元、もしくは暗号化キーの解読がされたものだと推測される。 それら40枚の画像には、09年10月26日深夜から翌27日未明にかけて、約1時間半の範囲内で撮影された、Mさんの遺体の損壊前後の写真が収められており、風呂場での解体の様子や、解体に使用した文化包丁、さらには解体作業をするY自身の足などが写り込んでいた。 そうしたことから、Yは26日21時半頃に帰宅途中だった“見ず知らずの”Mさんを、彼女の靴が落ちていた、寮に近い側溝付近で、待ち伏せに使った車内へと引きずり込んで殺害。その夜のうちに、彼女の遺体を当時住んでいた益田市の一軒家にある風呂場で、解体しながら撮影していたことが推測される。