「証言、行動のきっかけに」「授賞、戦時下のシグナル」 英語で、紙芝居で、体験を伝える人が語る賞の意義【私の視点 ノーベル平和賞】
2024年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に授与される。 戦後80年を目前に控え、世界では核脅威の高まりが暗い影を落としている。その混沌の中で、核廃絶を草の根で訴え続けてきた被爆者運動にようやく光が当たり、栄誉ある賞が贈られる。さまざまな立場の人に、受賞の意義を聞いた。(共同通信=下道佳織、斎藤由季花) 【写真】「憧れの土地」でだまされて、強制労働収容所に… 「体が棒のような感覚に」 命を落とした多くの戦友 遺体は数が増えると大きな穴に次々と投げ込むだけ… 戦争犠牲者慰霊の旅を続け約35年、日ロ平和を願った抑留経験者の僧侶
▽「訴え続けた努力を世界が知る機会」広島の被爆者で、英語で証言を続ける小倉桂子さん(87) 約40年前から平和活動を始め、英語で被爆者の通訳を担った。もっと長く闘ってきた人も間近で見てきた。被団協への授賞は、被爆者がこれまで「核兵器はいらない」と訴え続けた努力を世界が知る機会となる。心から良かったと思う。 原爆資料館館長や、海外要人の案内を務めた夫馨(かおる)が1979年に亡くなった後、英語を勉強し通訳をするようになった。1983年に旧西ドイツで開かれた反核の模擬法廷で、8歳の時に爆心地から約2・4キロで被爆した体験を初めて話した。ヒロシマを世界に伝えたいと、翌年に「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」をつくった。 広島で被爆し、被団協の代表委員だった故坪井直(つぼい・すなお)さんの通訳で米国に行ったこともある。坪井さんは被爆者として受けた差別や、これまでに感じた恐怖について「全部話さなければ」と言っていた。私自身は1983年以降、通訳に徹し被爆体験をほぼ話さなかった。約20年前、米国の高校生に「あなたの話をして」と言われ、英語で体験を語ると、真剣に聞いてくれた。 ▽核兵器が使われたら…自分事として考えて
2011年に広島市の「被爆体験証言者」となり、これまで数十カ国の人に証言した。ある時、米国の子どもに体験を話した後、「誰がこんなにひどいことをしたの」と質問された。「アメリカよ」と答えると、その子の目は涙でいっぱいになった。米国の若者にこそ被爆の実態を知ってもらいたい。核兵器は発射ボタンを押せば使用できるが、その先にあるのは「広島と長崎」だから。 昨年5月の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)では原爆資料館で各国首脳と面会した。親が子どもを失う悲しみ、放射能の恐怖…。核兵器と通常兵器の違いに焦点を当てて話した。 今回、授賞式翌日にノルウェー・オスロで開かれるフォーラムで、被爆体験を証言する。核兵器が使われたらどうなるかを感じ、自分事として考えてもらいたい。 × × おぐら・けいこ 1937年、広島市生まれ。HIP代表。 ▽「うれしい半面、複雑な気持ち」長崎の被爆者で、紙芝居で体験を伝える活動をしている三田村静子さん(82)