「証言、行動のきっかけに」「授賞、戦時下のシグナル」 英語で、紙芝居で、体験を伝える人が語る賞の意義【私の視点 ノーベル平和賞】
被団協への授賞決定は、紙芝居を使った被爆講話や平和公園でのガイドといった自分の活動も認められたようでうれしかった。半面、今起きている戦争を止めてほしいというシグナルだとも受け止めていて、複雑な気持ちでいる。 授賞理由の一つは証言の継続だ。今でこそみんな口を開くようになったが、私は証言すること、被爆者でいることはずっと嫌。思い出したくもないし「あの家は被爆者」とか「被爆者はお嫁に行けん」とか、いろんな差別を聞いてきたからだ。 原爆が落ちた時、家族と食事中で、ご飯に灰がかかった。そのまま食べた私や姉は30代の頃、次々とがんにかかり影響を疑った。当時、海外で証言をしている被爆者がいて「偉いな」と感じつつ、それでも自分の話をしようとは思えなかった。 ▽がんで亡くなった長女の悔しさに押され、証言活動へ 2010年、39歳だった長女ががんで亡くなり、生前原爆の影響を気にしていたと知った。その悔しさを思うと「放射線の怖さを伝えんといけん」と駆り立てられ、自分や娘のことを証言すると決めた。分かりやすく伝えるため、1年ほどかけて紙芝居を作った。
講話する時はいつも、娘と長崎で犠牲になった人が頭に浮かび、苦しさが消えない。でも、だからこそ二度と戦争、原爆があってはいけないという思いで続けてきた。 証言は、日本だけでなく核兵器を持つ国の人にこそする必要がある。米国3都市を回った昨年、ある高校で講話を終えるとみんな言葉を失っていた。帰り際に1人の生徒が「放射線(の影響)はそんなに長く続くんですか。ちっとも知らなかった」と泣きながら話しかけてきた。被害を教えられてこなかった子たちが、私の意志を引き継いでくれると期待している。 授賞式が行われるノルウェーは「核の傘」にある国。式に合わせて現地に行き、特に若い人たちに、一発の原爆で放射線が体の中に刻印され、家族までもが一生苦しめられると話したい。 × × みたむら・しずこ 1941年、長崎市生まれ。被爆者団体「長崎県被爆者手帳友の会」副会長。