紫式部「アラサーで夫と死別」幼い娘との壮絶経験 気持ちがすれ違う中で起きた悲しい出来事
紫式部が夫の死に際して、詠んだ歌は残っていませんが「世の中の騒しきころ、朝顔を人の許へやるとて」という詞書のもとで「消えぬ間の身をも知る知る朝顔の 露とあらそふ世を嘆くかな」との歌を詠んでいます。 「世の中の騒しきころ」というのは、疫病が流行していた頃を指すのでしょう。この歌は、宣孝が亡くなった年の7月か8月頃に詠まれたと推測されます。「いつ死ぬかわからないと覚悟はしていながら、朝顔の露と競い合うようにして人が死んでゆくのを悲しんでいます」との歌意です。
直接的に夫の死の悲しみを指したものではありませんが「朝顔の露と競い合うようにして人が死んでゆく」の「人」の中には、夫も入っていたと思われます。 そして「いつ死ぬかわからないと覚悟はしていながら」との文字からは、紫式部自身も死の恐怖を感じていたことがわかります。伝染病の猛威は、紫式部の真近にも迫っていたのでした。 このところの紫式部の歌は、当初はあった伸びやかさや明るさをなくしてしまったように見えます。結婚生活の悩み、夫の死が紫式部からはつらつさを奪ってしまったかと思われるほどです。
結婚生活はわずか2年という短さ。そしてその生活も、寂しさと隣合わせのもの。夫は急死し、残された娘はまだ2歳。紫式部はシングルマザーとなったのでした。 ■その後『源氏物語』を完成させる 紫式部がここで生きる意味を見いだすことができず、何もしなければ、歴史教科書に名が記されるほどの人物にはなっていなかったでしょう。 紫式部が『源氏物語』を完成させるのは、その後の出来事です。それは、悲劇に見舞われながらも、逞しく生きた女性の生涯を見るに等しいものだと思うのです。夫を亡くした紫式部はこれからどう生きていくのでしょうか。
(主要参考・引用文献一覧) ・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973) ・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985) ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007) ・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010) ・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
濱田 浩一郎 :歴史学者、作家、評論家