阪神大震災の犠牲者銘板に21人追加「両親と姉の名前を並べてあげたかった」…総数5068人に
阪神大震災の犠牲者らの名前が刻まれた東遊園地(神戸市中央区)の「慰霊と復興のモニュメント」に14日、新たに21人の銘板が加わり、遺族らが亡き人をしのんだ。銘板の総数は5068人となった。(神戸総局 上田裕子、阪神支局 新谷諒真) 【写真】阪神大震災から29年、灯籠の火で「1995 ともに 1.17」の文字が浮かび上がった東遊園地(今年1月17日)
「やっと3人が一緒になれた。天国で仲良くやってね」
兵庫県芦屋市の医師児玉隆之さん(55)は、震災で犠牲になった姉・小亀寛子さん(当時36歳)と、震災後に亡くなった父・順三さん、母・章子さんの3人の名前が刻まれた銘板を取り付けると、心の中で語りかけた。
児玉さんと両親が住む神戸市東灘区の家は全壊。3人とも無事だったが、嫁ぎ先の同県西宮市にいた寛子さんは、夫、長男とともに犠牲になった。寛子さんがとっさに覆いかぶさって守った長女だけが助かった。
翌日、児玉さんは遺体安置所で寛子さんの遺体と対面した。体は氷のように冷たかったが、穏やかな顔をしていたという。
両親は表面上、悲しむ様子を見せることはなかったが、順三さんは徐々に飲酒量が増えて2004年、肝臓がんで亡くなった。76歳だった。児玉さんは、21年に87歳で死去した章子さんが1人で泣いているのを何度も見たことがある。
児玉さんは「2人ともあの日を境に明らかに様子が変わってしまった。震災によって両親の人生も狂わされた」と振り返った。
今年1月、震災と直接関連がなく亡くなった人も銘板を追加できることをテレビの報道で知り、迷わず3人そろっての追加を決めた。「両親と姉の名前を並べてあげたかった。やっと親孝行ができ、安心しました」と顔をほころばせた。
「30年越しに再会できた」母の願いかなえた
神戸市須磨区の都藤(つどう)明美さん(65)は、昨年12月に101歳で亡くなった母・景山万寿恵(ますえ)さんの銘板を加えた。モニュメントには、父・巌さんの銘板が既にある。都藤さんは銘板に触れ、「30年越しに両親が再会できた。ゆっくり眠ってほしい」と祈りを込めた。