考えさせられるハガキ、ほろりとさせるハガキ、ぷっと吹き出してしまうハガキ……。漫画家・やなせたかしさんが、あまりにも悲しい「ごめんなさい」は選ばなかった理由
〈 お母さん 点数の悪かったテストを見せたらおこられるので、川にすててごめんなさい。これからは、ちゃんと見せます。〉 「川にすてて」は青文字で、「ごめんなさい。」は太く大きく書かれていて、川に「48点」の理科のテストが流れていく様子が描かれていた。48点で捨てなければならないのは、よほど勉強熱心な家庭だったのだろうか。 〈 ダーリンへ こんなに肥えて ごめんなさい。 やっぱり 幸せ太り かなあ。〉 ハガキいっぱいに大きな文字で記されていて、「ごめんなさい」と「幸せ太り」が特に太く書かれていた。 〈 中学生の時の1年3組のみんな&先生、ごめんなさい。私が給食当番の時、魚のフライの食カンを運んでいたら、あやまって、ろうかに全部落っことしてしまい、パニックになった私は、誰も見ていなかったので、とっさに、いそいで元に戻し、何くわぬ顔で、みんなに配り、食べさせちゃいました……。今まで、本当の事、言わなくてごめんなさい。あのあと、誰も、腹痛を起こさなかったのが、私の救いでした。 本当に、ごめんなさい。〉 文章の周りはイルカとチョウのシールで裝飾されていた。 〈お母さん、結婚式の時もとうとう言えなかった。子供の頃、一緒に電車に乗って切符を失くしたのは私です。駅員さんに必死で謝る姿、今でも忘れません。ずっと黙ってて、ごめんね。〉 白い服に身を包んだ女性の清楚で悲しげな顔が描かれていた。ウエディングドレス姿の自画像だろうか。 こうして並べてみると、確かに徳久さんの言う通り、深刻な内容はない。誰しも身に覚えがあるようなこと、相手が覚えているか分からないのにずっと気になっていたこと、謝るというより幸せを自慢しているような内容まで含まれている。
やなせさんが選んだ第2回以降の大賞
第2回以降、やなせさんが選んだ大賞4通の傾向を見てみよう。 〈 30年前に小学4年生ぐらいだった時、いつもはおねしょをしない自分がやらかした。妹はおねしょの「常習犯」だったのに、その日は無事で熟睡している。下着や寝床を妹と取り替えてしまったという女性の話(第2回大賞)〉 〈 バス通学だった高校生の時、急に雨が降ると「野良着」のまま傘を持ち、取る物も取り敢えずバス停に駆けつけてくれた父親。「野良着」を他の乗客に見られるのが恥ずかしく、「ありがとう」を言えなかった。その父親も33回忌を迎えたという63歳の娘の話(第3回大賞)。〉 〈 16歳に成長した子がまだ幼稚園だった頃、悪さが酷くて近くの山に置いて来るふりをした。が、心配で心配で数分後に連れにいくと、小さな手に松ぼっくりが二つ。 「お父さんとお母さんに、あげようと思って」と差し出され、抱きしめて泣いたという41歳の夫妻の話(第4回大賞)〉 〈 5歳の頃に駄菓子屋へ行く途中、道路に飛び出して車にはねられた。運転していた人に非はないのに、苦しい思いをしてきたのではないか。30年後の今、自分は元気でいる。顔も名前も知らないが、「ごめんなさい」と言いたいという話(第5回大賞)。〉 くすりと笑える思い出や、ほろりとさせる内容を最高賞に選んだのは、優しいやなせさんだからなのだろう。 ハガキを寄せてくれた人には、やなせさんも手書きのメッセージで応えた。 〈 入賞された皆さんおめでとう! この「ハガキでごめんなさい全国コンクール」はごめん町という全国的に大変珍しい町名にちなんだユニークな賞です。 それにしてはごくささやかな賞ですが、応募数は2539通という想定外の多さで選ぶのが大変でした。 世の中にはずい分沢山の「ごめんなさい」があるものだと改めて驚きます。 多数の応募の中から選ばれた皆さんは内容が優れていたことは勿論ですが幸運に恵まれていたともいえます。 入賞しなかった作品の中にも面白いものは多数ありましたので落選した人たちに対してはごめんなさい。またぜひ来年応募してください。賞金はとにかくとして記念の「たて」は心をこめた手づくりです。 「ハガキでごめんなさい全国コンクール」 審査委員長 やなせたかし〉 第3回に応募した人々への内容だ。落選者への配慮を忘れないところが、おなかがすいた人に自分の顔を食べさせる『アンパンマン』に通じるものがある。