なぜ研究者は「隠したがる」のか…天才科学者・山中伸弥が羽生善治に明かす、あまりに非効率な生命科学界の「ヤバすぎる伝統」
「iPS細胞技術の最前線で何が起こっているのか」、「将棋をはじめとするゲームの棋士たちはなぜ人工知能に負けたのか」…もはや止めることのできない科学の激動は、すでに私たちの暮らしと世界を変貌させつつある。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 人間の「価値」が揺らぐこの時代の未来を見通すべく、“ノーベル賞科学者”山中伸弥と“史上最強棋士”羽生善治が語り合う『人間の未来AIの未来』(山中伸弥・羽生善治著)より抜粋してお届けする。 『人間の未来AIの未来』連載第3回 『羽生善治も絶賛「チェスよりも圧倒的にいい」…日本の将棋ソフトが巨大資本のチカラなしに「飛躍的進化」を遂げた意外な理由』より続く
互いに成果を隠す「発表競争」
山中:将棋の世界は、オープンソースを土台にみんなでアイデアを出し合うという、インターネット社会のメリットを最大限に生かしてソフトを進化させてきたわけですね。しかし、僕がいる生命科学の世界は、研究の競争が激しくて、みんな隠して隠して、論文発表で初めて世に出すという感じです。 羽生:先端科学の世界で、ちょっと意外ですね。 山中:そうなんです。論文を発表するプロセスは、まず『ネイチャー』とか『サイエンス』というジャーナル編集部に自分の論文を送ります。そこから「ピアレビュー」(査読)と言って、同じような研究をしている研究者数人が、ほとんどの場合匿名でそれを評価します。「ここは変えたほうがいい」という彼らの指摘に従って、やり直すわけです。 羽生:掲載までにいろいろな過程があるんですね。 山中:いちばんひどいときは「この研究は箸にも棒にもかからない」と拒否されるケース。これがけっこう多い。いちばんいいときは「この研究は素晴らしいから、すぐ載せます」と1ヵ月後に掲載される。そういうことも稀にはありますが、滅多にありませんね。
発表プロセスの大きすぎる「タイムラグ」
山中:だいたい「ここは問題があるので追加実験しなさい」とか「こことここは変更しなさい」という指摘が返ってきて、そこから数ヵ月かけて追加実験をして送り返します。 すると「今度はここを改善しなさい」と、またやりとりをします。1年、2年かかることもあります。だから生命科学の分野では、今取り組んでいる研究が世に出るまで早くても2、3年かかってしまいます。 羽生:けっこうなタイムラグですね。 山中:タイムラグがすごい。科学技術が日進月歩で進み、データがすぐに手に入るようになっています。しかもそれは膨大なデータです。それを発表せずに、ずっと抱え込んでいることが今、大きな問題になっています。 生命科学でも発表の方法を変えたほうがいいのではないか、リアルタイムに世に出す仕組みが必要ではないか、と考える人が少しずつ増えています。しかし、なかなか進みません。なにせ過去百年以上、僕たちはそうやって論文発表を目標に研究をしてきたわけですから。 羽生:そういう学問の習慣が強固に生きているわけですね。 山中:はい。それを変えるのは、かなり難しい。僕たちは論文発表が命なんです。それを近接した分野の研究者数人が採点するとなると、その採点は、彼らと仲がいいか悪いかに必ず左右されます。それは公平とはなかなか言いがたいですよね。