伊那谷楽園紀行(10)伊那谷に知る好奇心、創造館館長・捧剛太の幸せ
伊那谷の冬は、寒く厳しい。正月を過ぎると伊那谷を囲む山々を覆う雪化粧は次第に厚くなる。朝、職場や学校へ出かけようと、玄関から一歩出るのが億劫になるのは、住み慣れた人々であっても変わらない。近所の人と交わす朝の挨拶の話題が、寒さや天気の話題ばかりになった、2018年のはじめ。伊那市創造館の館長・捧(ささげ)剛太は、憤懣やるかたない気持ちを抱いていた。
四十にして惑わずというが、既に還暦まで片手で数える年齢になった捧は、人生の終わることない苦悩も、その合間にほんのわずかだけ訪れる幸せをも味わっている。それに、肩書きの重くなった今では、持ち込まれる面倒ごとを、やんわりと受け止めて、解決していく作業も、毎月振り込まれる給料の中に含まれている。世の中には、年齢を重ねても、人格の熟成されないままに、1年ごとに数字だけが増えていく愚者もいる。社会のあちこちの組織や人間関係は、そうした、できればお近づきになりたくないものを抱えていがちだ。捧は、そうした今までの人生の価値を疑われるような人々とは無縁に、常に前向きな楽しさの衣を身にまとっている。 それでも、せっかくの衣が台無しになるほどに、捧はどうしようもないイライラを抱えていた。 その原因は、年明け間もなくに、ある週刊誌系のニュースサイトから配信された記事であった。そこに書かれていたのは、かなりインパクトのある移住の失敗談だった。 それは、書き手である「ノンフィクションライター」自身の体験談。 いずれは農業を始めることに憧れた当人が、移住先を求めてたどり着いたのは、東信地方の集落であった。熟慮を重ねた結果、土地を選んだはずであったのに、この書き手は数年もせずに、移住先を逃げ出すことになった。あくまで当人の体験談であるが、その主張するところは、プライバシーゼロの対人関係のストレスだった。
この人物が、ストレスを感じたのは、まず都会では見られないような地域の風習である。その地域では、元旦の午前9時になると、村民のほとんどが公民館に集まる。そこで、新年を迎えての老人の「訓示」を拝聴し、万歳三唱をする。 正月二日は、消防団出初め式。既に40歳を超えていた書き手は、消防団には参加しなくてよいかと思っていたら、村の老人は軽トラで「友達もできるぞ」と、迎えに来る。 以下、続くのは、まったく馴染めなかった、移住先への怨みの言葉。そして、そこから逃げ出してたどり着いた山梨県内の別荘地での充実した暮らしの羅列。 どれだけ、分析的な言葉を並べて普遍化しようとしても隠すことのできない怨念。都会から、ある種の桃源郷を求めて、移住してきた自分を受け入れなかった田舎への、呪詛。 いかに、今、暮らしている土地を素晴らしいところだと美辞麗句を並べて覆い隠そうとしても、メラメラと燃えているどす黒い炎が、見えている。 「どうして、この人は楽しむことができなかったのだろうか」 捧の胸の内には、当たり前の疑問符が点灯した。元旦から、ご近所同士が集まって老人の有り難い話を聞いて、万歳三唱。一種の「奇習」がどのような経緯で始まったのか。集落の住人とならなくては参加もできないし、行事に参加できるのは、とても幸運な事ではないか。それに、集落の一員となったのであれば「奇習」の始まった経緯を枕に、歴史の本には記録されることのない珍事件や、出所不明の伝説。「今となっては笑い話だけど……」と、始まる物語が次々と聞けるのではないか。 万歳三唱ひとつをとってもそうだ。平凡に生きていて、人生の中で万歳三唱に参加する機会など、選挙の時の当選者の事務所にでもいかなければ、まず体験することはない。ところが、長野県では別だ。どういうわけか、誰にもわからないが万歳三唱は、県歌『信濃国』の合唱と並ぶ長野県の定番行事。なにか、会合があって、締めとなると長野県では、一本締めではなく万歳三唱。1年も住んでいれば、ほかの土地では一生掛けてもできないほど万歳三唱をすることになる。 「そんな機会に恵まれるなんて、とても楽しいことではないか」