【美浦便り】第1回ジャパンCで不運に見舞われたホウヨウボーイと加藤和宏騎手のお話
JRAが「強い馬作り」を掲げて1981年(昭56)に創設したジャパンCも、今年で44回目を迎えました。 記念すべき第1回に騎乗した日本人騎手8人のうち、今も美浦トレセンで馬作りにいそしむ加藤和宏調教師(68)に当時のお話をうかがいました。騎乗馬は所属していた二本柳俊夫厩舎の6歳牡馬ホウヨウボーイ(父ファーストファミリー、母ホウヨウクイン)。前年の有馬記念馬で、この年は天皇賞・秋(芝3200メートル)をレコード勝ちして勇躍外国馬に挑んだのです。日刊スポーツの馬柱では上から○◎△△○○の印が並び、米国のザベリワン、日本のモンテプリンスに次ぐ3番人気に支持されました。 「勝つ気満々でした。あの時のことは、今思い出しても悔しい。普通に走れていれば(勝った)メアジードーツの1馬身先に出ていますよ。タクラマカンが…」。師の脳裏には11月22日の出来事が、ありありと刻まれていました。 まさにスタートが切られる直前、3枠4番のタクラマカンがゲートの扉を突き破って飛び出してしまったのです(仕切り直しで外枠発走)。2枠2番ホウヨウボーイはその音につられて、扉に顔を激しくぶつけてしまいました。鉄パイプの部分に当たった前歯が3本折れていたことが、後に分かりました。「馬も集中していたから、音に反応してしまったんです。口から血を流しながら走っていましたよ。もうレースに集中できていませんでした。本当にかわいそうでした」。後方集団から直線で6着まで押し上げましたが、フジテレビの実況では1度も名前が呼ばれません。外国勢が1~4着を占めました。 1着メアジードーツ(米)2分25秒3(レコード) 2着フロストキング(加)1馬身 3着ザベリワン(米)1馬身半 4着ペティテート(米)首 5着ゴールドスペンサー(日)半馬身 6着ホウヨウボーイ(日)1馬身4分の3 騎手6年目で初めて八大競走を勝ったホウヨウボーイに対する思い入れはとても強いようです。その後のシャダイアイバー、アンバーシャダイ、シリウスシンボリ、ホクトベガなど多くの名馬に携わる上での礎となりました。 「僕を成長させてくれた先生みたいな存在でした。体全体を使った走りで、バネがすごかった。たくさんいい馬に乗せていただきましたが、直線で追い出した時に体がついていけなかったのはあの馬だけでした。性格も良くて自ら走ってくれる。僕は邪魔をしないように乗るだけでした」 ジャパンCの後は歯が折れた影響を引きずって十分にカイバを食べられず、次走有馬記念は同じ厩舎のアンバーシャダイの2着に敗れ、花道を飾れませんでした。 19戦全ての手綱を取った師は、毎年の墓参りを欠かしません。北海道日高町の門別種馬場跡地に立つ石碑に手を合わせ、「すまなかった」と謝るのだそうです。世界にはね返されたショックが国内の競馬関係者やファンを覆いましたが、もしあの不運がなかったら歴史は変わっていたのかもしれません。【岡山俊明】