「日本の犯罪者」は「耳を切られ、鼻を削がれ」ていた…そこから見える犯罪に対する”意外な感覚”」
「ミヽヲキリ、ハナヲソグ」
日本の中世とはどのような時代だったのか。現代の社会のありようを考えるうえで、中世という時代を鏡としてみることは、なにかしらの意味があるかもしれません。 【写真】天皇家に仕えた「女官」、そのきらびやかな姿 ところで、現代とは大きく時間的なへだたりのあるこの時代を知るうえで非常に役に立つのが、『中世の罪と罰』という書籍です。 本書は、中世の「刑罰」に注目することによって、日本の中世社会がどのようなものであったかを鮮やかに描き出す作品。たしかに、パラパラとページをめくるだけで、当時を生きた人々の感覚について、多数の発見があります。 たとえば、勝俣鎭夫氏による「ミヽヲキリ、ハナヲソグ」という、少しゾッとするタイトルがつけられた論考。 この論考で勝俣氏がとりあげるのは、「耳を切ったり鼻を削いだりする刑罰」です。中世の日本社会の刑罰は追放が中心であった一方で、「耳を切ったり鼻を削いだりする刑罰」が見られたことに注目し、その意味を考察していきます。 13世紀の文書をもとに前半で引用される事例が印象的です。 記録によると、紀伊の国のある荘園領主が、逃散した領民が残していった耕作放棄地に麦を撒くよう、領民に無理やり指示したことがあったそうです。興味深いのは、そのときの領主の脅迫の言葉。「そうしなければ、逃散した領民の妻子の耳鼻を削ぐ」という趣旨の脅迫をしたというのです。 ここから勝俣氏は、耳や鼻を削ぐという刑罰がそれなりの広がりをもっていたことを推測しつつ、耳鼻そぎの意味について考察を進めます。
「外貌を変える」
勝俣氏は、かつて中国に「髪を切る刑罰」(髡刑〔こんけい〕)が存在したことに着目します。そして、髪切り刑と耳鼻そぎ刑のあいだに「外貌を変える」という共通の特徴があるとし、そこから耳鼻そぎ刑の性格・特徴をつぎのように描き出します。同書より引用します(ちなみに、「黥刑(げいけい)」とは刺青を入れる刑罰のこと)。 〈この剃髪刑は、耳鼻そぎ刑・火印刑・黥刑の如く肉体的苦痛をあたえるものではないが「外貌を変える」刑としては共通の性格をもつ。耳鼻そぎ刑が髡刑に、また耳鼻そぎ刑が黥刑に代置されうるものと考えられていたことからも知られるように、耳鼻そぎ刑などの肉刑もたんに受刑者に苦痛を与える目的だけでなく、その外貌を変えるところにひとつの狙いがあった。 そして、これらの刑は一般的には犯罪の予防を目的として、犯罪者を一般の人々と区別することに主眼がおかれたとされている。たしかにこれらの刑が予防主義的見地から行われたことも事実であるが、私にはむしろこれらの刑の本質は、その軽重を別にするならば、受刑者本人の外貌を変えてしまう苦痛そのものにあったと思われる。 すなわち、これらの刑は本来的には受刑者を一般の人々と異った不吉な容姿に変えてしまう刑、人間でありながら、姿形を人間でなくする、いわゆる「異形」にすることに大きな比重がかけられた刑であったと思われる〉 人を「異形」とすることが、重い意味をもった時代があった……。きわめて興味深い議論ではないでしょうか。 さらにこの論考では、耳鼻そぎの刑が「あざむきの罪」に適用されていたことなども紹介され、興味は尽きません。本書を読んで、現代と中世の違いに目を向けてみると、見えてくることがあるかもしれません。 さらに【つづき】「なぜ中世の日本人は「犯罪者の家を焼いた」のか…? 当時の人々の「犯罪に対する“意外な感覚”」」の記事では、「家を焼く」刑罰の意味について解説しています。
学術文庫&選書メチエ編集部