「そろそろ終わりかな」…阪神で現役11年の大型内野手が振り返る“戦力外を覚悟した日のできごと”
光星学院(現・八戸学院光星)の遊撃手として2年夏から3季連続で甲子園準優勝。華々しい実績を引っさげて阪神に入団した北條 史也内野手(現・三菱重工West)。11年間プレーした“日本一の人気球団”での日々を振り返ってもらった。 【一覧】24年阪神・ドラフト指名選手
鳥谷、大和の守備に驚愕
――実際にプロの世界に入ってみてどうでしたか? 北條 2軍のキャンプからスタートして、やっぱりプロの選手は凄いなと思いました。守備に関しては捕ってからの速さだったりとか、足の速さだったり、バッティング練習ではポンポン柵越えを連発していたり……。僕はその時、全然飛ばなくて、スタンドに入ってもギリギリでした。技術も当然そうですけど、体が僕とは全然違うなと思いました。 ――特に遊撃手は鳥谷 敬さんや大和さんがいたと思いますが、共にプレーしていてどう感じましたか? 北條 鳥谷さんとは3年目の春のキャンプで一緒にノックを受けた時が初めてでした。後ろから見ていたら、バウンドが合っていなくて、エラーするんじゃないかなって思っていても、さらっと何もなかったように捕っていたのが印象的でした。大和さんはボールに入っていく速さというか、流れるように捕って送球するのに衝撃を受けました。 ――最初の頃にプロのレベルの高さに苦しまれた中で、同期の藤浪 晋太郎投手(メッツ)が1年目から2ケタ勝利しました。その時はどのように見られていましたか? 北條 僕は応援していましたし、1年でも早く一緒の舞台で野球がしたいなっていう思いでした。ファームでもしっかり頑張ろうという刺激にはなっていました。 ――金本 知憲さんが監督になられた4年目に1軍での出場機会が増えました。その要因はプロの体になってきたのが大きかったですか? 北條 3年目までにファームで出させてもらって、試合に出るという体力はついたと思います。まだまだ体も4年目は細かったですけど、試合に出続ける体力はファームで培ったかなと思います。慣れもありますし、特に1年目、2年目は当時の2軍監督だった平田 勝男さんに厳しく鍛えて頂いたので、それがだいぶ生きたかなと思っています。 ――4年目には122試合に出られて、400打席以上立たれましたけど、1軍でもレギュラーとしてやっていけそうという手応えありましたか? 北條 僕は手応えという言葉があまり好きじゃないんですけど、まだまだ成績も伸ばしていかないといけないですし、5年目は4年目の成績より絶対に数字を上げてやっていこうという中でスタートしたんですが…全然ダメでした。成績を何年も残すのがレギュラーなので、それが一番難しいことがわかりました。 ――高校の先輩である坂本 勇人選手と自主トレをしたこともありましたが、どのようなことを教わりましたか? 北條 僕の出場機会も減っていって、来年にでもクビになるかもしれないっていう思いで、坂本さんと自主トレをさせていただいたんですけど、バッティングにしろ、守備にしろ、引き出しが多いと思いました。野球をしている時じゃなくても野球のこと考えていますし、あれだけの成績残している方でも、まだまだ成長したいと向上心を持ってやっていることを知ったので、そういう部分がまず足りてないなっていうのは思いました。 ――プロ野球生活の後半は怪我に苦しまれました。2019年からは矢野 燿大さんに変わって変化したことはありましたか? 北條 矢野さんは2018年に2軍監督をされていて、僕の開幕はファームで始まって、途中から1軍で出始めたんですけど、その期間で「過去は変えられない。ミスをしてしまったら、次にどうするかっていうことを考えろ」と言って頂いて、その言葉で切り替えもけっこうできました。2打席凡退していても、3打席目でヒットを打てたりとか、引きずらなくなったりするようになったので、その年は一番良かったです。 ――矢野さんはポジティブな考え方をされているイメージがあります。 北條 ミスをしても、そのミスを引きずって、次の打席で結果が出ないのが一番ダメなので。「ミスはつきものだと思って、その後にどうするかが一番大事だと」言われて、気持ちの部分でも楽になりますし、引きずらないようにはなりました。