青木さやか『笑っていいとも!』でご一緒したピーコさんの思い出。「愛ある文句」を言ってくれた人
お笑いの仕事だけでなく、女優・エッセイストとしても忙しい毎日を送る青木さん。今回は「元いいとも!出演者として」を綴ります。 【写真】いいとも25周年でいただいた湯呑み。宝物 * * * * * * * 青木さやか「2子どもの頃お世話になった祖母宅。96歳でまだ一人暮らしをしている祖母に、いつまでも元気でいてほしい」はこちら ◆テレビ番組笑っていいとも! わたしが、お昼12時生放送のテレビ番組『笑っていいとも!』に出させていただいていたのは今から15年以上前のことになる。 あの頃は身体も心も毎日が忙がし過ぎて、何をしているのかよくわからないまま、とにかく休まないように行って全力でやっていたように思うのだが、振り返ってみると、なんて貴重なありがたい経験だったことだろう。 思えば、たぶん小学生の頃からいいともを観ていてた。平日は観られないけど、日曜日の「いいとも増刊号」を観て、テレビの中のスターたちの、本番が終わったあとの肩の力を抜いた声も張らない感じの、あれが好きだった。さんまさんとタモリさんのやりとりとか(あんたはうるさいね~と、タモリさんが呆れる)、笑福亭鶴瓶師匠が話すタモリさんの話とか(タモリさんが怒らない人なんだというエピソード)が、好きだった。 自分が出られることになって 毎回ピークの緊張感、無我夢中でわけわからん!て感じだったけど、共演者の人たちと話して、ふと息を抜く時間があったことを覚えてる。 『笑っていいとも!』の楽屋って、記憶では一畳くらいのスペースしかなかったように思う。隣の楽屋とはベニア板で仕切られていて、隣室の音が聞こえるどころか、アルタ楽屋階全体の音が聞こえてくる雑多とした感じであったように思う。
◆楽しかった楽屋、そこにピーコさんおすぎさんも 歩いて3歩のところにメイク室があって、南野陽子さんと観に行ったお芝居の感想を話したりするのも好きだったし、大島美幸さんとアルタ近くの美味しいトンカツ屋さん情報交換するのも好きだったし、ピーコさんやおすぎさんと話すのも好きだった。 ピーコさんもおすぎさんも、優しい言葉をかけてくれるってわけじゃないけど、優しかった。わたしのこと、苦手だった感じだったけど、それでもバリアを張らなくて、至近距離まで入れて、わたしに文句を言っていた。そんな優しいことないなって、そう感じた。少しずつわたしのことをホントに心配してくれるようになっていったように思う。 笑っていいともが終了して10年以上経つのか…でも我が家で日本茶をいただくときは、笑っていいとも湯呑み。今日はこれで献杯しようと思う。 ピーコさんありがとうございました。 また会いたいです。
青木さやか
【関連記事】
- 青木さやか「子どもの頃お世話になった祖母宅。96歳でまだ一人暮らしをしている祖母に、いつまでも元気でいてほしい」
- 青木さやか「吐き気、倦怠感、頭痛…更年期かな?メンタルかな?病院に行ってみたらまさかのアレだった!」
- 青木さやか「大泉洋さんとトークショーのため北海道、旭川市へ。終了後はドーミーインに宿泊し、路線バス節約旅行のはずがまさかのVIP旅に!」
- 青木さやか「20代からハマり続けているスーパー銭湯。何も隠さない堂々たる姿に若い時はおののいたが、わたしも今、そうなっているのかも」
- 青木さやかさんが『ザ!世界仰天ニュース!』に出演、ギャンブル依存症について語る。〈極度の興奮〉を求め、パチンコがやめられなかった。嘘をつくのも一つの癖だ」