京都「三条駅前」再開発が動き始めた! なぜ“最後の一等地”と呼ばれるのか? 文化発信拠点整備で変わる街の未来とは
再開発計画は過去に二転三転
三条駅前の再開発は早くから打ち出されながら、二転三転した経緯を持つ。 かつて現地には京阪本線の終点となる三条駅とともに、滋賀県大津市へ通じる京阪京津線の京津三条駅が地上駅としてあった。1989(平成元)年の鴨東線開業まで洛北方面などへ向かう路線バスとの乗り換え口になっていた。 京津三条駅は、三条駅が1987(昭和62)年、地下化されたあとも地上駅として残ったが、1997年に東西線が開業して三条駅に隣接する形で三条京阪駅が設けられたのにともない、京津線の京津三条~御陵(みささぎ、山科区)間とともに廃止された。 京都市は三条駅前整備事業を「京都市5大プロジェクト」に組み入れ、2002年にバスやタクシー乗り場がある駅前ロータリーを整備した。しかし、京阪電鉄は京津三条駅跡地にホテル、商業施設などの開発を検討したものの、施設の高さ原則最大20m、容積率600%の規制もあって、思うような計画を立てられなかった。 計画策定までの暫定措置として枯山水の庭園を囲んで飲食店など10店を配した商業施設「KYOUEN」を2003年に設けたが、その後の計画が決まらないまま、2016年に閉店している。駐車場になっているのがその跡地だ。 2017年には自社所有地と有済小学校跡地を合わせた約1万3000平方メートルに京文化の体験観光施設を設ける構想を打ち出したが、コロナ禍で進展しなかった。京阪電鉄は 「過去の構想を白紙に戻し、どんな施設を整備すれば地域に貢献できるのか、検討している」 と話した。
景観保護との折り合いが課題に
三条駅前のうち、川端通は京阪本線の地上線跡と琵琶湖疎水の暗渠(あんきょ。地下水路)化で生まれた土地に整備され、商業施設が集積していないが、3階建て南北2棟の三条駅ビルと三条通には、それなりの飲食店や物販店、宿泊施設がある。市中心部の交通結節点であることを考慮すれば、歴史的な京都の玄関というだけでない潜在能力を感じられる。 南の祇園や四条河原町に加え、平安神宮や哲学の道などがある北の岡崎エリア(左京区)にも近い。京阪本線に乗れば伏見稲荷大社(伏見区)まで乗り換えなし。東西線を使えば二条城(中京区)まで5分で着く。京都駅(下京区)からのアクセスは電車を乗り継ぐか、バスしかないが、観光利用の拠点にはもってこいだ。 駅の乗車人員も少なくない。京都府企画統計課によると、2022年度の三条駅年間乗車人員は約510万人、三条京阪駅は約410万人。三条駅は府内の京阪電鉄の駅で ・丹波橋駅(伏見区) ・祇園四条駅(東山区) ・出町柳駅(左京区) に次いで多い。三条京阪駅は東西線で ・烏丸御池駅(中京区) ・山科駅(山科区) ・京都市役所前駅(中京区) に次ぐ。 JR西日本や近鉄、地下鉄などの京都駅、阪急電鉄の烏丸駅(下京区)、京都河原町駅(同)と比較すれば半分以下だが、拠点駅の役割を果たしていることに変わりない。地元で再開発に期待する声が出るのはうなずけるところだ。 しかし、現地は鴨川の流れと間近に迫った東山を一望できる京都ならではの風情がある。 「安易な高さ制限緩和」 には住民の反発が予想される。京都市も簡単に認めるはずがない。景観保護と折り合いをつけながら、京阪グループはどのような計画をまとめるのか、地元の商業者らは注視している。
高田泰(フリージャーナリスト)