MAZZELのRYUKIが語る、ダンスに人生を賭けた意味、「九州会」の友情
EXPGで触れたエンターテインメントの世界
―小学3年生でEXPG入ってからは、どんな日々でしたか? どんな経験をして、どんなことを感じて、今のRYUKIさんになっているのかを探らせてもらいたいなと思ってます。 RYUKI 小3から高校1年生前くらいまでの約8年間、EXPGにいました。最初はダンスの基礎を習って、ダンスというものを勉強していくうちにストリートダンスにも興味を持つようになって、小4くらいからはEXPGだけじゃなくて他のスタジオにもお世話になってバトルにも出てました。三代目J SOUL BROTHERSさんのバックダンサーもさせていただいて、そういった中でダンスの魅力をたくさん知っていきました。 ―三代目のバックもやられていたんですね。どの辺りのステージに立ってたんですか? RYUKI 最初のドームツアー(『BLUE PLANET』)、『RAISE THE FLAG』、フェスとかで立ってました。 ―ドームにバックダンサーとして立って、どんなことを思いました? RYUKI お客さんの人数がエグすぎて、「なんだこれ」というのが最初の感想だったんですけど。メンバーさんが近づくとファンの方が全力でアピールしてる姿を見ると、すごいな、いいなって。自分も早くこうなりたい、早くデビューしたいなというのが本音の気持ちでしたね。 ―そういう想いを抱きながら、EXPG以外のスクールにも通われていたんですね。 RYUKI そうです。福岡にある、ストリートダンスをやっているダンススタジオに通ってました。EXPGのレッスンが終わったあと、そのダンススクールに行って、夜までダンスして、帰れないから友達の家に泊まって、ということをやってました。EXPGではアーティスト育成のためにコレオで踊ることをメインに学んでいたんですけど、それだけでは自分の魅力を出せないかもなと思って、ストリートをやってみようかなと。性格的にも自由人なので(笑)、決められたことをやるより自由なことをするのが大好きで、自分を身体で最大限表現できるのはストリートダンスかもなと思って、実際にそっちに行ったらもうハマっちゃって。今こうしてMAZZELになって、ライブのダンスパートに自分が入れてちゃんと踊れていることも嬉しいので、やっぱり行ってよかったなと思います。 ―MAZZELに入る前から、バトルでRANさんに会っていたそうですね。 RYUKI そうなんです。九州のダンスバトルは何個かあるんですけど、そのうちのひとつが自分のお世話になっていたスタジオが開催したバトルで、それにRAN兄も出ていて。「ポップのうまいやつがいる」と有名だったので、一方的にRAN兄のことは知ってました。「あれがらんきち(RANの当時のダンサー名)か!」みたいな感じでした。MAZZELのオーディションで再会したとき、RAN兄に話したら、RAN兄も自分のことを認識してくれていて嬉しかったです。まさかこうしてBMSGで同じチームになるとは思ってなかったので、面白いなと思います。 ―人生、面白い……! そうやってダンスに熱中していた一方で、学校生活はどうでした? RYUKI 人生、全部ダンスにベットしましたね。学校は早退することもあったり、体育祭とかに出られなかった時期もあったりして。夢に賭けてきた人生だったので、アーティスト以外は何の職業もできないな、アーティストじゃないと生きられないだろうなと思ってました。 ―ひとつのことに賭けた人生を選んで、親は心配しなかったですか? RYUKI いや、心配はめっちゃあったと思います。でも、やりたいことをやらせてくれて、ずっと「全力で応援する」と言ってくれてましたね。