大谷・イチロー・王・長嶋――「野球の天才」が語る日本文化
令和初の夏の甲子園は、大阪代表・履正社の初優勝で幕を閉じました。大会前から、「163キロ右腕」として知られる岩手・大船渡高校の佐々木朗希投手が岩手大会決勝に出場しなかったことなどを巡って、さまざまな議論が沸き起こりました。日本人にとって、野球がいまなお特別なスポーツであることの証拠といえるかもしれません。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は「高校野球の彼方にはアメリカという国が見える」と語ります。そのアメリカで生まれた野球というスポーツと日本文化の関係について、若山氏が独自の視点から論じます。
マッカーサーの子供たち
猛暑と台風の中、高校球児たちの熱戦も終わりを告げた。 夏の甲子園はいつも終戦記念日のあとにつづくので、何かセットのような感覚があるのだが、どちらもその彼方にアメリカという国が見える。たとえば『瀬戸内少年野球団』(原作・阿久悠、監督・篠田正浩)という映画は、玉音放送につづいて、サングラスをかけたマッカーサー元帥がコーンパイプをくわえて厚木飛行場に降り立つシーンから始まる。英題は「マッカーサーズ・チルドレン」であった。 日本の少年たちは敗戦と同時に、空腹を抱えながらも敵国の文化を象徴するスポーツに熱を上げたのだ。草野球ともいえない三角ベースに興じていた僕は、ランニングシャツにマジックインキで「16」と書いていたが、やがて誰もが「3」を背負いたがりサードを守りたがった。しかし僕はしばらく「16」のままだった。家には「3」の入った新しいユニフォームを買う経済的余裕がなかったのである。 野球。このアメリカで生まれたスポーツにおける四人のスーパースターをつうじて、戦後日本文化の変遷を読み取ってみたい。他でもない、大谷翔平、イチロー、王貞治、長嶋茂雄の四人である。
大谷・イチロー・王・長嶋
メジャーリーグでは、大谷翔平が打者としても十分にやっていけることを証明しつつある。来年は投手としても復帰するというが、いわゆる二刀流を貫くことは、日米をつうじて野球界の常識になかったのだ。そしてあの童顔も素晴らしく、野球に縁のなかった女性ファンにまで「かわい~」といわれる。 その大谷が大リーグ入りしたのと入れ替わるように引退したのがイチローである。まったく違うタイプで、はっきりいえば可愛くはない。大谷とは逆に野球をよく知っている人に評価される傾向にあり、プロ好みだ。しかしあの内野安打に象徴されるように、これまでの常識を破る点では同様である。禁欲的な自己管理の姿勢は「サムライ」のイメージだが、主君に仕える滅私奉公的なそれではなく、宮本武蔵、佐々木小次郎、柳生十兵衛といった、剣の道を追求する「孤独」なサムライ精神だろう。 かなりさかのぼって王貞治。独特の「一本足打法」によってホームランを量産した。イチローのバッティングとは対照的だが、自己のスタイルに徹するという点では同じである。日本刀を振ってバッティングの奥義を極めたという。つまり王もサムライであるが、どこの藩にでも勤められそうな「道徳」としての武士道精神がある。 そしてもう一人、誰もが認める長嶋茂雄である。野球少年がそのまま大人になったようで、やはりセオリーを感じさせない。場合によっては敬遠のボールにまで手を出す。足も速く、守備も素晴らしい。普通のサードゴロに猛ダッシュして捕球姿勢のまま横からスローイングするダイナミズムは、モノマネの対象にもなり、ショーを見ているようでもあった。道徳的な王の野球とは違って「野生」の野球といえる。 長嶋、王、イチロー、大谷、この四人は単に野球がうまいというだけではなく、それぞれ独特の技法によってそれまでのセオリーをくつがえした、いわば「天才」である。そしてそれゆえに、実績の数字だけでは測り切れない評価と人気があり、そこにその時代の日本が置かれた文化状況が感じられるのだ。 長嶋と王は年齢は近いが、人気最盛期の日本の状況はたいぶ異なっていた。端的にいえば、長嶋は「戦後の復興期」、王は「昭和の成長期」、イチローは「平成の低迷期」、大谷は「令和の新時代」を象徴する。