グランプリ作品はなぜ「米袋」に描かれたのか? 障害とアート 「HERALBONY Art Prize」が生んだ注目の異彩作家
障害のある表現者の才能をビジネスに展開するヘラルボニーが、世界中の「異彩」を称賛し、障害者の社会参画を拡大することを目指して創設した国際アートアワード「HERALBONY Art Prize」。その第一回のグランプリに輝いたのが、米袋をマテリアルに描かれた浅野春香の「ヒョウカ」だ。 大学で美術を専攻していた20歳のときに統合失調症を発症した浅野は、入退院を繰り返す闘病生活のなか、29歳で本格的な絵の制作を始めている。 「大学で習った描き方は、絵の具はチューブから出したままの色を使わないとか、キャンバス全体を均等に描いていくとか、正しい構図で描くといったもので、再び絵を描き始めてからもその通りにやっていました。ところが障害のある表現者を者対象としたコンテストに出展して展覧会を見に行ったら、誰もそんなこと気にしていなくて、すごく自由な感じがしたんです」(浅野) 技法からも、他人の視線からも解放されて自由に描きたい──それでもキャンバスや画用紙に絵筆を走らせているうちは、なかなか「自由」にはなれなかったという浅野を変えたのが、米袋との出会いだった。 「仙台の就労支援事業所に遊びに通っていた時期があって、そこでみんなが米袋に絵を描いていたんです。『いいな』と思って私も始めました」(浅野) 紙製の米袋を切って広げ、水性のカラーマーカーで描くスタイルは、こうして生まれた。ゴワゴワして、シワが走る米袋は、正確にも均等にも描ける素材ではない。であればこそ「ちゃんとしなくていい」と思えて、絵を描くことが楽しくなったのだそうだ。 描く自由を得た浅野は、次々とコンテストで大きな賞を受賞していく。2018年には国内最大級のアート見本市「アートフェア東京」で、浅野の作品が「TOYOTA“MIRAI”アートカー」の車体を彩るアートとして採用され、大きな話題となった。コンテストにも積極的に挑み、実績を残してきた浅野にとって、「ヒョウカ」はどのような位置づけの作品なのだろうか。浅野はこう語る。 「最初はフラッシュバック(ふとしたきっかけから辛い記憶が呼び起こされる現象)をテーマに、その辛さを描いていました。また、病気の父のために描こうとも思っていたんです。だけど、気がついたらだんだん人の目を気にした絵になっちゃって。そのことをフェイスブックで綴ったら、知り合いの方が「人からよく見られたいというのも、あなたの素直な気持ちですよ」と言ってくださったんです。 自分の心の底にあるのは「評価されたい」という気持ちで、だから「ヒョウカ」というタイトルにしました。 アール・ブリュットは、人からの評価をあまり気にしないような作風の方が多いと思うんですけど、私はすごく気にします。細かく小さな点をびっしり描いていくのは、そうしたほうが絵に迫力が出ると思ったからです」 自由と評価、相反する二つを強く希求するからこそ、浅野の絵には生命の起源を思わせる混沌と均衡が同居するのかもしれない。