事務所も「過度な取材・報道は厳に慎んで」と言ってるのに…。中山美穂さんの「近親者」に“突撃”するマスコミの病理
■倫理観を横に置いてまで、行うべき取材なのか ネット中心ながらメディア業界に長年、身を置いている筆者としては、冠婚葬祭といった話題が、読者の興味を集めることは十分理解できる。また、忍さんの姿が「絵」になるのではと考える業界人がいても不思議ではない。しかし、「それは本当に、倫理観を横に置いてまで、行うべき取材なのか」との観点に立つと、避けるべきだったと感じる。 訃報のみならず、報道陣が多数押しかけて行われる取材は、一般的に「メディアスクラム(集団的過熱取材)」として扱われる。その多くは、メディア側からすると「公益性があるから」という理屈で、長年正当化されてきた。
しかし、近年では「公益性よりもプライバシーが重要だ」という考え方が、急速に普及しつつある。かつての「有名税」の位置づけも変わり、フィギュアスケート・羽生結弦さんの結婚や、野球・大谷翔平選手の新居をめぐる報道では、著名人でもひとりの人間であるとの認識が広まった。 すでにSNS上では、こうした価値観がスタンダードになっている。一方で従来メディアは、その手法をアップデートできていない。媒体側と受け手のギャップが強いほど、不信感は増し、「マスゴミ」認定されやすくなる。
加えて、「親族だから」と結び付ける報道にも反感が出つつある。つい先日には、「はいよろこんで」で注目を集めたミュージシャン「こっちのけんと」さんが、NHK紅白歌合戦に初出場するとの話題で、大手ネットメディアが見出しに「菅田将暉の弟」を使いつつも、アーティスト名は出さなかったことで、「失礼ではないか」との非難が殺到した。 ■「より過激なコンテンツ」を求めている層 読者や視聴者は、「世間感覚とのズレ」に敏感だ。そして非常識だと判断すると、即座に興味を失い、批判的な考えをもつ。世間へのアンテナをもっているはずのメディアが、それでもなお、こうした手法を続ける理由はどこにあるのか。