[懐かし名車旧車] スバル インプレッサWRX:WRCの活躍で“SUBARU”を世界に発信
ライバルとなるサニーやカローラに比べ、オーバースペックだった高度な技術や作り込み
年譜の上ではインプレッサはレオーネの後継車ということになるが、その志や内容は、3世代のレオーネで熟成された技術を活かして生まれた、スバル1000へのオマージュとも言えたのだ。じつのところ、本来はサニーやカローラがライバルとなる大衆小型車のインプレッサには、そうした高度な技術や作り込みはオーバースペックとも言えた。スバルの社内には、今でも現役時代の百瀬氏に指導を受けたエンジニアが残っている。技術志向の強い彼らが作ったインプレッサは、スバル1000がそうだったように、個性的な乗り味がクルマ好きをうならせた一方で、ともすればマニアックな部分も多かったのだ。
インプレッサの魅力は、WRC(世界ラリー選手権)の舞台で花開くことになる
しかし、スバルは四半世紀前とは違った形で、インプレッサの魅力を誰にでもわかりやすく伝えることに成功する。デビュー翌年に投入されるや、破竹の快進撃を見せることになるWRCでの活躍を筆頭に、高い技術が駆使されたスバルの基本性能は、スバル1000の時代からモータースポーツでは光っていた。1970年代初頭には、1000のマイナーチェンジ版となる1.1Lのff-1や1300Gが数々のラリーで活躍していた。 レオーネの時代になると、最初からラリーなどのモータースポーツを意識したクーペのRXグレードが設定され、1973年のサザンクロスラリーでは、改造範囲の狭いグループ1クラスでの優勝も飾った。1977年には、レオーネセダン4WDがロンドン~シドニー間3万㎞を走破するラリーレイドに出場して総合19位、4WDクラス4位を獲得して注目されている。 1980年のサファリラリーには、2代目レオーネに新たに加わったスイングバックと呼ぶハッチバックの4WDを投入してクラス優勝。以後もサファリラリーを中心にラリー活動を続けるが、総合優勝はなかった。 当時は三菱や日産を始めとする国内のライバルも大規模なワークス体制で海外ラリーに参戦しており、実験部隊を中心とした有志チームのようなスバルの体制では、歯が立たなかったのだ。