闘病中も「キレイ」追求…がんで亡くなった42歳の美容外科医 ブログで明るく発信続け、最後は数時間かけて執筆
子宮頸がんワクチンの大切さも発信
河原さんは「医師なので病気や脱毛への恥ずかしさはなく、有意義な情報を伝え、同じ立場の人を励ましたいという使命感があったと思う」。がん検診や子宮頸がんワクチンの大切さも発信していた。 ブログはドクター部門ランキングで1位になるなど多くの読者を引きつけた。20年に乳がんが見つかった彦根市の女性(53)もその一人。「私は不安でいっぱいで周囲を思いやる余裕は正直なかった。前向きな姿勢や温かみのある文章に勇気づけられた」と話す。 時には苦しさも吐露した。21年8月に肝臓などへのがん転移が分かり、手術後は激痛に襲われた。<陣痛が永遠にやってきているような感じで、ずっと泣いています><あまり痛いのとか辛(つら)いのとか投稿したくないけど、やまない雨はない 明けない夜はない>
「ままだいすき」
一方、退院して子どもと久々に再会した時はすっかり母の顔に。<ママの取り合いをしてくれました。ぎゅーっとずーっと抱きしめました><三男から手紙ももらいました。ひたすら、ままだいすき、って書いてあるラブレターでした> その後もさまざまな治療法を試し、入退院を繰り返した。23年12月には原因不明の腹部の痛みもがんの転移と判明。それでもブログは続け、同16日には長女の幼稚園のお遊戯会に出席したことを報告した。<息苦しさもなく…奇跡の数時間だったなぁと思います> その3日後。ベッドに横たわる写真を添え、<明日一泊家に帰る予定です。退院じゃなくて転院か…少し悲しい>と漏らし、自らを鼓舞するように<ファイティン♡♡♡>と締めくくった。これが、最後の投稿となった。 年が明けた1月11日。「ご報告」と題し、その前日に居原田さんが永眠したことを夫の河原さんが伝えた。「見ているのもつらいほど『痛い、痛い』と苦しんでいたが、イライラしたり誰かに当たったりすることは決してなかった」と闘病生活を振り返る。最後は思うように動かない手で、数時間かけてブログの文章を打っていたという。 死去から約1カ月後に「お別れの会」が開かれた。スクリーンに在りし日の姿が次々と映し出され、友人や病院関係者ら約1200人が早すぎる別れを惜しんだ。 式場には、サッカーのアマチュア最高峰・日本フットボールリーグ(JFL)に所属する「レイラック滋賀」のユニホームも飾られた。居原田さんのクリニックは、県勢初のJリーグ入りを目指す同クラブのメインスポンサーを務めている。大好きな滋賀や子どもたちのために、との思いを込めて。昨シーズンは惜しくもJ切符を逃して号泣し、<昇格の瞬間を目に記憶に焼くために、私は頑張って生きる。。。>と誓っていた。