「黒歴史も、会社の恥部も遠慮せずに書いてください」作家が驚愕したトヨタ・章男会長の「破天荒」と会社愛
トヨタの歴史は失敗だらけ
注目されるべきはトヨタを題材にした小説でありながら、トヨタの世界的成功の物語は、記述程度に抑えられている点だ。むしろ多額の負債や社内外のトラブルなど、会社の失敗のエピソードが丹念に描かれる。そのなかで、問題の本質に向き合い企業人として成長していく、章男と喜一郎の内面を照射する構成となっている。 「トヨタの基本姿勢となる真髄の部分を知りたくて、執筆の初期にトヨタの本社へ取材に伺いました。私は警察小説を多く書いてきたので、人が動くための正義、すなわちスローガンを重要視しています。トヨタのスローガンを理解しないと、この小説はうまくいかない。そう思って、トヨタの担当者の方にお話を聞きました。 最初はTPS(トヨタ生産方式)の話が出ました。優れたシステムだとは思いましたが、小説の軸にするのは難しく感じました。すると担当者の方が、『トヨタの歴史は失敗だらけなんです』と言いました。それを聞いて、すごく驚いたんですね。いやいや成功ばかりだから世界トップになったんでしょう、と私は思っていました。続けて、社内のある一角に案内されました。過去に頓挫したプロジェクトや負債の事実、社会から批判を浴びた出来事などを展示した、歴史資料エリアでした。トヨタ社員や関係者限定の施設ですが、トヨタの失敗の記録を紹介しています。そんなことをしている会社って、きっと多くないでしょう。ネガティブな事実は隠しておきたいはずなのに、トヨタはオープンにして、むしろ会社の誇りのように展示しています。失敗があるからこそ、強くなり、成功を呼び寄せる。そんなビジネスの原理を体現しているのが、トヨタという会社なのだと思いました。 スローガンといえるのかはわかりませんが、トヨタは失敗ばかりしているクルマの会社。いい意味でも悪い意味でも、それがトヨタなのだと解釈したとき、この物語は面白く書けると思いました」 『トヨタの子』では章男が社長就任直後に起きた、2009年の北米でのトヨタ車のリコール騒動も詳しく描かれる。国内だけでなく世界で大きなニュースとなり、トヨタのブランドは一時大きく失墜した。当時、アメリカ下院に章男が召喚され、厳しい追及がなされた公聴会は、本来ならトヨタ側は「黒歴史」としておきたいところだろう。 「あの場面は、難しかったです。公聴会の内容をそのまま書いても小説にはならないし、けれど社会問題にもなったので、大胆に脚色するわけにもいきません。小説としての面白さを損なわないように注意しました。きっと章男さんは当時、トヨタの倒産と自身の逮捕まで覚悟されたうえで、公聴会に臨まれていたと思うんですね。そんな苦境でも毅然と質疑応答に立った、『トヨタの子』が守り通したかった正義を、私なりに表現できたと思います。 本当だったら公聴会の様子などは、小説に書かれて、また蒸し返されたくないと、トヨタは考えたはずでしょう。でも本作の執筆は先ほど言ったように、最後は私自身に一任していただき、トヨタの担当者の方からは『会社の恥部も遠慮しないで書いてください』と言われました」