かつて野中広務が田原総一朗に渡そうとした裏金の額とは?「いいお茶を渡したい」喫茶店で渡された紙袋の中には100万円の封筒がひとつ、ふたつ…
申し訳ないけど受け取れません
田中のケースと同様、すぐに返さなければと人を介して返す方法を探したが、適当な人が見当たらない。これは本人に直接返すしかないと腹を固め、野中の地元・京都に飛んだ。 電話を入れて野中の事務所に赴き、選挙関連で本人が不在のところに、「申し訳ないけど受け取れません」とメモと紙袋を置いてきた。 その後、野中とはこの問題について、一切やりとりしなかった。互いに一件落着のつもりだった。ところが、10年後の2010年4月、野中がテレビのインタビューで、官房機密費の話を明かしていた。 官房長官時代の話として、「言論活動で立派な評論をしている人たちのところに、盆暮れ500万円ずつ届けることのむなしさ」があったと暴露、僕が受け取りを拒否したことにもきちんと触れてくれていた。 率直に言って、これは助かったと思った。僕が受け取らなかったと言っても、そもそも密室での話であり、それを証明するものは何もなかったからだ。出した当人に言ってもらえればそれに勝るものはない。 田中からも野中からも金は受け取らなかったということが、その後の僕のジャーナリスト人生にどれだけ役立ったか。 まず、相手がお金で籠絡しようとしてこなくなる。この人には無理だということが業界内で知れわたる効果がある。そうなると、誠心誠意、本音で取材の受け答えをするしかなくなってくる。それがまた僕の狙いでもあった。 ジャーナリストは、政治との関係にかかわらず、お金の問題は常に身ぎれいにしておくことが肝心だと思っている。 イラスト・写真/shutterstock
---------- 田原総一朗(たはら そういちろう) 1934年4月15日、滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、1977年フリーに。テレビ、新聞、雑誌などで活躍。代表的な出演番組に『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』『激論!クロスファイア』ほか。1998年、すぐれた戦後の放送ジャーナリストを選ぶ城戸又一賞を受賞。『電通』『戦後日本政治の総括』『堂々と老いる』など著書多数。 ----------
田原総一朗