排泄物を切り口に、腸内細菌と人間との不思議な関係をユーモラスに解説―アダム・ハート『うんこの世界──細菌とわたしたちの深い関係』永江 朗による書評
◆なんでこうなの?ユーモラスに解明 ごめんなさい。最初にお詫びします。朝ごはんを食べながら新聞を読む方もいらっしゃるでしょうが、この本は食事のお供に向きません。食前に読むのもやめたほうがいいかもしれない。食後しばらくしてから、あるいは夜寝る前などに読むことをおすすめします。 子供向けのドリルではありません。罵倒語、比喩としての「くそ」をちょっと上品(?)にいう「うんこ」――たとえば「うんこみたいな政治家」とか「この小説はうんこだ」のように――でもありません。書名そのまんま、うんこ、大便、排泄物についての本です。 うんこは不思議です。いろんなものを食べているのに、うんこは色も形も臭いもだいたい同じ。ピーマンを食べても、大根を食べても、トマトを食べても。しかも食べたものとは似ても似つかぬ色と形、そしてあの臭い。いったい口から肛門の間で何が起きているのでしょう?それを解明するのが本書です。書名からもわかるように、ときにやりすぎじゃないかと思うほどユーモラスに書かれています。 うんこの約75%は水です。そして固形物の約3分の1、場合によっては最大60%が細菌だそうです。うんこのあの質感と臭いは細菌のせい。ぼくたちの口から肛門まで、たくさんの種類の細菌がいて、互いに作用しあっています。まるで身体の中に細菌の都市がたくさんあるように。人間の都市と同じく、悪いヤツもいるけれどもそれは少数で、ほとんどはいい細菌です。 この本には体内の細菌と彼らとのつきあいかたについていろいろ書かれているけれども、うんことの関係でいうと、「内なる世界」と題された第六章が特におもしろい。 腸の中にはものすごい数の細菌がいます。「多くの推測値を平均すると」という但し書きつきですが、だいたい100兆個ぐらいとのこと。人体の細胞数は37兆2000億個。腸だけでもその3倍も住んでいる計算になります。途方もない数です。重さは推定1~2キログラムですから、1個の細菌がいかに小さいか。体内にいる細菌の種類はだいたい160~200種だそうです。 細菌は腸の中でほかの生き物と同じように暮らしています。食べ物を食べて、新しい細菌をつくる。これが、人間にとっては消化を助けてくれるありがたい働きとなります。ぼくらが日ごろ食べているもののなかには、口での咀嚼や胃の酸による化学分解、酵素の作用によってだけでは消化できないものがいろいろあります。それを細菌が分解してくれる。腸内細菌の働きで酢酸やプロピオン酸や酪酸ができて、それをぼくらは身体のあちこちで使います。 腸内細菌のいないラットと正常なラットを比較した実験が紹介されています。無菌ラットが体重を維持するためには、正常なラットより30%多くカロリーを摂取する必要があることがわかったとか。 細菌は消化を助けてくれるだけではありません。一部のビタミンを合成したり、重要な金属の吸収を助けてくれたり、有害な病原性細菌の増殖を抑えたりしてくれます。 細菌は腸の中で相互に関係し合う集まりとして働きます。最近よく耳にする「腸内フローラ(腸内細菌叢)」です。「叢」は「くさむら」。いろんな植物が群がって生えている。 腸の中の細菌に元気よく働いてもらうにはどうすればいいか。彼らが喜ぶものを食べるといい。具体的には、果物、野菜、豆類、穀物をバランスよく食べるという、いささか拍子抜けの、でも大方予想通りの結論です。 ある種の腸の病気の治療法として注目され、研究が進んでいるのが、この腸内フローラの移植です。糞便微生物叢移植(FMT)。著者は「清々しいほど単純なテクニック」といっていますが、健康な人のうんこを患者の腸内に入れるというもの。もちろん、そのまんまではなく、希釈・濾過したものです。ぼくは子供のころからお腹が弱く、これまで生きてきた時間の半分はうんことトイレについて意識させられてきましたが、FMTには大いに期待します。 腸内細菌には、サルモネラ菌やO―157のように危険なものもあります。だからぼくたちは日ごろできるだけ細菌が口に入らないよう気をつけている。しかし、喘息などアレルギーを持つ人が増えたのは清潔になりすぎたからだ、昔のように細菌にもっと触れたほうが健康にいい、と主張する人もいます。 著者はこの「衛生仮説」に否定的です。家庭の衛生とアレルギー性疾患の関連は存在しないし、不潔な暮らしが子供をアレルギーから守るというわけではない、というわけです。 監修者によるわかりやすい解説や用語集、索引を含めて328ページある本書を読んで、いくつか疑問がわいてきました。口から肛門までの消化器は長い管のようなもの。管の内側はぼくの身体の内なのか、外なのか。ぼくの口から肛門まで住んでいる膨大な数の細菌は、ぼくの一部なのか他者なのか。彼らが住処としているぼくの身体は、ほんとうにぼくのものでしょうか。 [書き手] 永江 朗 フリーライター。 1958(昭和33)年、北海道生れ。法政大学文学部哲学科卒業。西武百貨店系洋書店勤務の後、『宝島』『別冊宝島』の編集に携わる。1993(平成5)年頃よりライター業に専念。「哲学からアダルトビデオまで」を標榜し、コラム、書評、インタビューなど幅広い分野で活躍中。著書に『そうだ、京都に住もう。』『「本が売れない」というけれど』『茶室がほしい。』『いい家は「細部」で決まる』(共著)などがある。 [書籍情報]『うんこの世界──細菌とわたしたちの深い関係』 著者:アダム・ハート / 翻訳:梅田智世 / 出版社:晶文社 / 発売日:2024年10月29日 / ISBN:4794974426 毎日新聞 2024年11月30日掲載
永江 朗
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