北アルプスに「伝説の登山道」、父の遺言で40年ぶりに復活 「まさに秘境」急流渡り、岩上り、温泉の噴気、急登…その先に絶景が
昔の新道は、崖に桟道を設けるなど川を避けた直線的な作りだったという。一方、圭さんは頑丈なつり橋を作ったり岩に足場を設けたりしたものの、ルート探しの箇所を設けるなどあえて「冒険の要素」を残した。 確かに道中は水位の低い場所を探して川を渡ったり、大きな岩をくぐったりと「冒険」そのものだ。腰まで水につかる場所もあり、脚をしっかり踏ん張らないと流されてしまいそうだ。「ガイドを頼んで良かった」と改めて思った。 かつて使われていたワイヤや古い道標にロマンを感じながら標高1800メートルほどまで歩くと、鉄分が混ざって赤茶色の水が流れる「赤沢」が現れた。真っ青な湯俣川と赤沢の合流点は色のコントラストが美しい。 ここで沢登りは終わり、原生林が生い茂る道へと、景色ががらりと変わった。土の香りをかぎながら、標高2550メートルほどの三俣山荘へ急登が続く。一気に進むと息が上がり、自然と口数が減ってしまう。
展望台で一息つこうと荷物を下ろすと、槍ケ岳(3180メートル)の尾根が姿を見せた。その名の通り、やりの先のようなフォルムがひときわ存在感を放ち、疲れが吹き飛ぶ。励まし合いながら午後4時半ごろ、三俣山荘に到着した。 ▽山荘の名物「ジビエシチュー」には理由がある 到着した三俣山荘は、正一さんが1945年に経営権を買い取り、営業を続けてきた。正一さんは黒部源流の山賊との交流を描いた『黒部の山賊』の著者であり、登山ファンにとっては知る人ぞ知る人物だ。 実は、この山荘の訪問は2回目。前回は5年前、大学時代の夏に北アルプス縦走で宿泊した。この時は学生の貧乏旅。重い米や缶詰を背負って自炊した。でも、今回はお金がかかっても絶対に山荘の食事を味わおうと決めていた。 夕飯のメニューは山荘名物の「ジビエシチュー」。鹿肉やニンジンがごろごろ入っていて、疲れた体に染みる。ニホンジカの高山植物への食害を知ってもらおうと提供を始めたそうだ。貧乏旅を思い出しながらありがたく堪能していると、「これから小屋締めパーティーです!」とアナウンスが。夏山シーズンを終え、山荘はあと2日で今季の営業を終えるという。余った食料やお酒を全員参加の「食べ飲み放題」で消費するという毎年恒例のイベントのようだ。