【10.24ドラフト会議直前!】「金の卵」投手BIG3が明かした「決意と自信」
「虎の恋人」と呼ばれる左腕
西の名門・関西大学の野球部に、「虎の恋人」と呼ばれる左腕がいる。 「そうやって(阪神ファンや関西のメディアに)注目していただくのは嬉しいんですけど、僕自身は指名された球団で活躍できるようにやっていくだけです」 【ドラフト会議直前】独占直撃インタビュー!「金の卵」投手BIG3の「素顔写真」 そう言ってはにかんだのは、阪神の地元である兵庫に生まれ、10月24日のドラフト会議では、1位指名の競合が確実なMax154㎞/hの金丸夢斗(ゆめと)(21)だ。 「プロ野球選手になりたいと思って野球を始めたんですけど、やっぱり身体も小さかったですし、実績もなかった。そんな自分が高校時代に一度は諦(あきら)めた夢が叶うかもしれないと思うとドキドキしますし、楽しみな気持ちもあって。諦めずに頑張ってきて良かったと思います」 「夢に向かって努力する子に」という願いを込めて「夢斗」と名付けた父・雄一さんは、兵庫県の高校野球の審判として試合を捌(さば)き、今夏の甲子園では準々決勝で一塁塁審を務めた人物。同じ甲子園の舞台に立つ日を夢見て野球に励んできた。 「小学校の下級生の頃からピッチャーでした。負けず嫌いで、いつもマイペースでしたね。球はあまり速くなかったですけど、コントロールに苦しんだことはなかったです。身体が大きくなればそこそこの選手にはなると、指導者の方々から言われていたので、自分としては(身体の成長を)楽しみに待っていました」 甲子園で一線級の高校球児を誰よりも近い位置で目視できる父の立場は、息子を指導する上でも役立ったに違いない。 「(’18年夏に旋風を起こした金足農業の)吉田輝星さん(オリックス・23)のマウンド捌きや、打者の手元で伸びてくる直球の印象など、球審を務めた試合で投げたレベルの高いピッチャーの特徴は教えてくれていました」 ドラフト上位候補となるような選手は、小中学生の頃より地元で神童と呼ばれるケースも珍しくない。だが、中学卒業の時点で160㎝あまりの身長だった金丸を勧誘する近畿圏の強豪校はなく、「公立校の中でも練習環境が良かった」という理由で神港橘を進学先に選んだ。 身長はすくすくと伸びたものの、高校3年生の夏は、コロナ禍によって甲子園大会が中止に。 177㎝まで伸びた金丸は大学2年の春に頭角を現して関西学生野球リーグで防御率1位に輝いた。今年3月には侍ジャパンの一員としてNPBの選手らの輪に加わり、欧州代表との試合で先発、2回をパーフェクトに抑えている。 「テレビで見るような一流の投手と一緒に野球ができて、いろいろなものを吸収できた。同じ左の宮城大弥(オリックス・23)さんや隅田知一郎(西武・25)さんからは、変化球の握り方やリリース時の指先の感覚を教えてもらいました」 その後は腰の骨挫傷で投げられない日々が続いたものの、この秋になって復帰し、リーグ戦では69イニング連続「自責点0」を継続してきた。 憧れはカブスの今永昇太(31)。直球で空振りを奪えるところを見習いたい。 「(侍ジャパンの)井端弘和監督(49)にも言われたことですが、将来は日本を代表する左腕になりたいです」 ◆人並み外れた体格 高校生では今夏の甲子園で準々決勝に進出した東海大相模のエース、藤田琉生(りゅうせい)(18)が世代を代表する左腕。サウスポーという希少性に加え、元バレーボール選手の両親のDNAを色濃く受け継いだ198㎝という規格外の身長もまた魅力だ。高校野球で今春から解禁された2段モーションにいち早く取り組み、振り上げた右足を2度、振り子のように動かしながら白球を投じることで、球威は増して最速が150㎞/hにまで伸びてきた。 「2段モーションがいい形ではまってくれて、甲子園でも気持ち良く投げることができました。あの解禁がなければ、今の自分はなかったと思います」 持ち球のひとつであるナックルカーブは、天井の高さから落ちてくる感覚に打者が陥る魔球だろう。 「できるだけ真上から投げて、バッターが経験したことがない高さから曲がって落ちるカーブを目指してきました。ただ、基本は変化球でカウントを整え、真っ直ぐで勝負するタイプの投手だと思います」 藤田は長身でありながらフィールディングに長(た)け、器用な投手だ。 「体重が93㎏で、体格はまだまだ標準です。プロに臨むにあたって、やっぱり体重を増やさないと筋肉もついてこない。お腹が空いている時間がないように、一日に5食ぐらい食べているんですけど、なかなか体重は増えてくれないんですよ。まずは100㎏近くを目指したい」 人並み外れた体格の分だけ、のびしろが感じられるというものだ。 ◆元公務員志望の豪腕 金丸や明治大学の内野手・宗山塁(21)と共に侍ジャパンのトップチームに招集された愛知工業大の右腕・中村優斗(21)も1位候補だ。ライバル視する金丸同様、彼もまた中学時代は無名の選手で、「公務員になりたい」という理由で進学先は長崎県にある公立の諫早農業の農業土木科を選んだ。 「ライフラインなど社会基盤の設計を学ぶ学校で、倍率も2倍を超える難関コースです。僕の同級生は長崎県庁や国土交通省、農林水産省に高校から就職しています。その頃はまさか自分がプロを目指すなんて、考えてもいませんでした」 そうは言うものの、元ロッテの外野手で、現在は愛工大の監督を務める平井光親氏(57)だけは将来性に惚(ほ)れ込んでいた。中村が高校2年生の時に初めて視察に訪れて声をかけ、中村は愛工大に進学することを決めていた。 最後の夏は甲子園大会が中止になり、コロナ禍によって就職活動に不安を抱える同級生が独自大会への出場を諦めるなか、中村は参加した。 「野球をやりたくても、やれない仲間がいた。そういう仲間の分まで、大学で目一杯頑張ろうという気持ちでした」 入学直後の1年春から愛知大学野球リーグの先発マウンドに上がり、勝利を挙げた。その頃からプロを意識するようになり、コンパクトに右腕を使ったショートアームの投げ方で、今では直球がMax159㎞/hに達した。 「僕は右肩やヒジに負担をかけないフォームを自分なりに研究して、今のフォームにたどり着いた。自分の強みは真っ直ぐの強さと与四死球率の低さ、変化球のキレ……あとは試合の後半でも150㎞/h台後半を投げられるスタミナだと思います」 豊田市八草の丘陵地に広がる愛工大のキャンパスは、周辺に娯楽施設のようなものがなく、オフに中村が出かけるにしても長久手市のイオンモールぐらい。 「田舎で育った自分にとっては、居酒屋もないし、遊びに行く場所もない八草のような場所が合っていると思います。今では第二の地元です(笑)」 ドラフト会議をちょうど2週間後に控えた取材の日、「特別な緊張感はありません」と中村は言った。 「指名してくださった球団が自分にとって運命の球団。プロに入ることが目標ではなく、プロで活躍することだけを見据えて、トレーニングを続けて来ました。侍ジャパンでご一緒させてもらったヤクルトの村上宗隆選手(24)のように、夢と希望を与えるような選手になりたい」 即戦力というより素材型の選手が目立つ今年のドラフト対象選手の中でも、飛躍が期待されるのがこの3人だ。 『FRIDAY』2024年11月1・8日合併号より 取材・文:柳川悠二(ノンフィクションライター)
FRIDAYデジタル