「二十四の瞳」の大石先生から不倫に溺れる「浮雲」のヒロインまで 高峰秀子の美学とは
TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は特別展「逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学」について。 * * * 村上龍さんの仕事場で「浮雲」を何度見たことだろう。 「これは傑作だよ」 仕事がひと段落すると龍さんは僕にラムと葉巻のコイーバをすすめ、二人してソファに腰をおろした。 敗戦後、別れるに別れられない男女の腐れ縁を描いた原作に成瀬巳喜男がメガホンを、森雅之演じる富岡を相手に日々を過ごすヒロインは高峰秀子。虚無とやるせなさの漂う作品に、僕はいつも違和感を禁じえなかった。 というのも、高峰秀子のそれまでのイメージは「二十四の瞳」に出てくる「大石先生」だったからだ。12人の子どもと若き女性教師とのふれあい。最初に見たのは小学校のときに名画座で。取材がてら映画の舞台になった小豆島に足を伸ばしたこともある。 それにしても大石先生とドロドロの不倫に溺れる女性を高峰はどう演じ分けたのだろう。東京タワーで開かれた「高峰秀子の美学」に足を運んだのも、その疑問が心に残っていたからだ。 「5歳で学ぶ機会を奪われ、肉親の愛情もなく、55歳まで半世紀300本を超える映画に出演……」との文章が掲げられた特別展だった。
生まれは北海道・函館、複雑な家庭環境のなか上京して鶯谷に住み、義母・志げとの確執を抱えながら天才子役からスターになる。一族の経済をひとりで支え、その一方、日常的に羨望と嫉妬に晒(さら)される。 17歳で出会った青年・黒澤明との叶わぬ恋もあり、20歳年上の男との道ならぬ恋もあった。泥沼の不倫から逃げるようにパリへ渡ったのが1951年正月。下宿先に差出人不明の小包が届くが、そこには林芙美子の「浮雲」が包まれていた。それが4年後、彼女の代表作のタイトルになる。 村上龍さんの真意がここで分かった。 映画「浮雲」こそ、高峰がそれまでの人生を反映させる迫真の演技で再起をかけた作品だったのだ。 「二十四の瞳」の助監督だった松山善三と結婚するが、「(学歴のない)私みたいなノータリンでいいんですか?」とほほ笑むスター女優に、「土方をしても養っていきます」と松山は答えたという。 二人は世界を旅行した。58冊に及ぶ旅の手帖には鉛筆の横書きで、例えばイタリアなら、リラの相場や時差、天候などが細かくびっしり書かれていて、胸を躍らせる彼女の息遣いがわかる。 あるコーナーでは書斎も再現され、ムートンの敷かれた座椅子もあった。バリーのパンプスやノースリーブの黒いミニドレスには「おしゃれは飛び出してはいけません」との美意識が述べられ、「亀の子タワシ一つ、私の気に入らないものはこの家には何一つありません」と高峰の合理性も知ることができた。 自宅の庭で夫の散髪をする写真があった。バリカンに息を吹きかける高峰を、てるてる坊主のように白布から首だけ出した夫が見上げている。高峰のデビューは無声映画だったが、一葉のその写真からは二人の仲睦まじい声が聞こえてきそうだった。 (文・延江 浩) ※AERAオンライン限定記事
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