海外取材の自由と憲法との関係は? 旅券返納命令の憲法論 首都大学東京准教授・木村草太
では、判断が分かれた場合、渡航制限は合憲か違憲か。 憲法解釈学の世界では、経済的自由の制約には政府の判断に「合憲の推定」が置かれ、精神的自由の制約には「違憲の推定」が置かれる、とされている。 観光や、友達への面談を目的とした海外渡航は、経済的自由に分類されるから、その渡航を政府が制限したとしても、政府の判断は合憲だと推定される。したがって、渡航者が自ら「安全であること」を積極的に立証しない限り、危険を理由とした返納命令は合憲と判断されよう。 これに対し、杉本さんは、ジャーナリストとして取材に行くところだった。取材の自由は、報道の自由の前提をなすものであり、精神的自由に分類される。このため、政府による渡航制限には違憲の推定が及ぶ。裁判になったとき、政府は、杉本さんの渡航計画が危険であることを、具体的に立証しなければならない。 今回の事件では、危険性の判断がやや抽象的であったように思われる。時々刻々と変わる情勢や渡航計画をふまえて、「そこを危険と判断した理由」について、政府がより具体的に危険性の説明をする必要があろう。 以上が、旅券返納命令の憲法論である。
なお、国内での報道を見る限り(例えば、「旅券返納命令、異例の一手 シリア渡航制限、外務省『今回は例外』」朝日デジタル 2月10日)、アメリカやフランスでは、政府はジャーナリストの判断を尊重し、取材目的の渡航を制限することは考えられていないようである。 筆者はこの点を専門的に研究したわけではないので、確定的なことはいえないが、これには、日本とアメリカ・フランスで、個人の自己決定と政府の保護義務とのバランスの取り方の違いが現れているように思われる。 日本では東日本大震災後、津波の被害が大きかった地域で居住制限もなされている。数十年、数百年に一度の津波に備えて高台に住むのではなく、津波への配慮をした上で海の近くに住みたい、という漁業者の主張はかなわないとの報道もある。 個人の自己決定と、政府の保護義務のバランスをどう考えるのかは、もっと国民的な議論をすべきだろう。 -------------- 木村草太(きむら・そうた) 1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京准教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。著書に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『憲法学再入門』(西村裕一先生との共著・有斐閣)、『未完の憲法』(奥平康弘先生との共著・潮出版社)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(大澤真幸先生との共著・NHK出版新書)などがある。