海外取材の自由と憲法との関係は? 旅券返納命令の憲法論 首都大学東京准教授・木村草太
問題は、危険を引き受けようとする「個人の自由」と、国民を保護する「政府の責任」のどちらが優先するかである。 いわゆる自己責任論は、個人の自由を優先させるべきだとする。その人が、「政府の保護はいらない」、「全ての危険を引き受ける」と決断した段階で、政府の保護義務はなくなる。その人が、海外で人質になろうと、遭難・難破しようと、政府には交渉・捜索の義務はない。その人が殺されようと、加害者を非難する義理はない。こうした考えも、それなりに一貫した立場であろう。 しかし、政府の保護を失った個人が安全に生きることは極めて難しく、地獄に落ちるに等しい選択だ。そんな選択は、ひどく追い詰められていなければするはずがない。とすると、そのような追い詰められた状況での選択が、果たして「自由な」自己責任と言えるのか、という疑問が当然生じる。 現在の日本政府は、たとえ当人が危険を引き受ける決断をしたとしても、政府の責任は免れないという立場を採っている。だから、今回も、パスポートの返納を命じるとの判断に至ったのだろう。 ちなみに、湯川遥菜さんと後藤健二さんの事件で、後藤さんは、何があっても自分の責任だという趣旨のメッセージを遺したとされるが、「後藤さんに危険を引き受ける意思があったとしても、政府は保護責任を免れない」との立場を、日本政府は取っている。したがって、日本政府の対応に問題があれば、内閣の責任問題になる。それゆえに、現在、政府内部に検証委員会が立ち上げられ、各種メディアでも対応の是非が検証されているのである。
3 取材の自由
もっとも、危険を理由に海外渡航を制限できるとしても、その地域の危険の判断が、政府と国民とで分かれる場合もある。例えば、現在、外務省は旧ソマリア全域が最高度に危険だとし、全土に「退避勧告」を出している。 外務省海外安全ホームページ しかし、作家の高野秀行さんは、確かに、南部ソマリアは極めて危険だが、北部のソマリランドの大部分は治安が良く、紛争も収まっていると指摘している(どちらの判断が正しいのか。みなさんもぜひ、外務省のホームページと高野さんの『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社)、『恋するソマリア』(集英社)を読み比べながら考えてみてほしい)。