ご存知ですか?東京五輪誘致の都知事が関与 幻の“手賀沼ディズニーランド”
8月も残すところ、10日ばかりとなりました。お盆休みも終わり、社会人は日常に戻り、オフィス街には普段と変わらない風景が戻ってきています。他方で、最後まで夏休みを満喫しようとする小中高校生が、レジャースポットで目立ちます。 夏休み中、レジャースポットはどこも混雑していますが、特に人気になっているのが東京ディズニーランド&シーです。1983(昭和58)年にオープンした東京ディズニーランドは、開園から30年以上もの歳月を経ても、老若男女の心を離しません。現在、千葉県浦安市のある東京ディズニーランドですが、実は東京五輪が開幕する昭和39年頃に千葉県我孫子市・柏市一帯に誘致・建設する計画がありました。 関係者から、“手賀沼ディズニーランド”と呼ばれる同計画は、千葉県や建設予定地の我孫子市・柏市のみならず日本の政財界が一丸となって進めていた幻の計画でもありました。東京ディズニーランドの開園よりも、かなり早くから計画されていた手賀沼ディズニーランドは、どうして実現しなかったのでしょうか? その歴史を紐解いてみましょう。
温泉施設にロープウェー、ヘリポートもある大規模テーマパーク
東京都心部から電車で約1時間。人口13万人を擁する千葉県我孫子市は、戦後は典型的な東京のベッドタウンとして発展してきました。その我孫子市の中心部には、手賀沼と呼ばれる大きな湖沼があります。公園や遊歩道が整備されるなど、手賀沼は周辺住民の憩いの場として親しまれています。また、夏には花火大会、秋には市民マラソン大会が開催されるなど我孫子市民のアイデンティティにもなっています。 そんな我孫子市に、いわゆる“手賀沼ディズニーランド”計画が浮上したのは、昭和34(1959)年頃でした。手賀沼に「後楽園、上野動物園、船橋ヘルスセンターを合わせたような大遊園地」を建設することが謳われていた同計画には、温泉施設・ジェットコースターやメリーゴーランドなどの娯楽遊戯施設・プールやテニスコートといった体育施設・1000メートル級のロープウェー・高さ100メートルの手賀沼タワー・科学館・水族館・ヘリポートなどが設置される予定でした。当時としては、類を見ない大規模なテーマパークだったのです。 この巨大な“手賀沼ディズニーランド”を運営する会社として、全日本観光開発株式会社が設立され、会長には安井誠一郎が就任しています。安井は、公選制になった東京の初代都知事を務めた大物政治家です。会長に就任する直前まで東京の舵取りを担っていた都知事が、どうして千葉県の地域開発・観光事業を担当する企業の会長に就任したのでしょうか? 我孫子市教育委員会生涯学習部文化・スポーツ課の辻史郎さんは、こう推測します。 「手賀沼の観光開発を進めるには、埋め立て事業や土地の区画整理に着手しなければなりません。迅速に土地を買収しなければなりませんし、漁業権などの補償問の交渉もあります。そうした面倒をスムーズに進めるためには、政治力が必要だったのでしょう。それら政治力を求める中で、地元・千葉県の政治家ではなく安井前都知事に白羽の矢が立ったのは、東京五輪の誘致に尽力した実績が評価されたからだと思います。」