特集「キャッチ」福岡大空襲から79年 少年から家族を奪った戦争 亡くなった語り部の思いを伝え続ける
FBS福岡放送
特集「キャッチ」です。福岡市役所で19日、戦没者追悼式が開かれました。1000人以上が犠牲となった福岡大空襲から79年です。「語り部」として空襲の記憶を伝え続けてきた男性が7か月前、亡くなりました。語り続けた戦争、そして平和への思いは後進に受け継がれ、「朗読劇」として披露されました。 【画像】特集「キャッチ」福岡大空襲から79年 少年から家族を奪った戦争 亡くなった語り部の思いを伝え続ける
初夏の日差しが降り注ぐ中、福岡市中央区の圓應寺(えんのうじ)に、ある兄弟の姿がありました。 ■兄・樋口孝治さん(55) 「ことしの空襲の慰霊祭の前に、周りをきれいにしたいということで、慌てて。」 地元で石材店を営む、樋口孝治さん(55)と、弟の孝明さん(49)です。 圓應寺で毎年、執り行われる福岡大空襲の慰霊祭に向け、祭壇の周りを整えていました。 ■兄・孝治さん 「(父が)語り部になったのもお寺のおかげ。慰霊祭で話しだしたのが最初ですから。」
慰霊祭で毎年のように空襲の記憶を語ってきた男性がいます。 ■語り部・樋口泰助さん(2015年・当時76) 「空襲が激しくなって、防空壕の中にも煙がもうもうと入ってくるようになって、息するのも苦しくなってきました。」 兄弟の父、樋口泰助さんは、福岡大空襲を経験した1人です。
79年前の1945年6月19日。 午後11時すぎからおよそ2時間にわたり、200機を超えるアメリカ軍のB29爆撃機が、福岡市の中心部に無数の「焼い弾」を投下しました。街は一夜にして焼け野原になりました。死者と行方不明者は合わせて1146人に上りました。
■泰助さん(2015年・当時76) 「この辺ですね。入り口はこの辺からだったと思います。」 戦後70年となった2015年、樋口さんは私たちを、かつて自宅があった場所に案内してくれました。
空襲当時、6歳だった樋口さんは、祖母と母、姉と妹2人の合わせて6人で、自宅の防空壕へ避難しました。しかし。 ■泰助さん 「煙がどんどん舞い込んできたんですよ。隣の方が焼けてきたから。私だけ男の子やけん、『お前、逃げろ』っておばあちゃんから無理やり押し出されて。」