モンスターペアレントは江戸時代に学べ!「親の過干渉禁止」「無礼な子は学ぶ資格ナシ」寺子屋の教えが現代人に必要なワケ
● 「書くこと」を通じて 考える力を学んだ 当時の筆記用具は筆と墨だ。習字は必修だった。 実際、正月の授業は「書き初め」から始まった。前年の年末に師匠が見本を書いて渡し、それぞれが家で復習し、年初めの授業で書いて見せるのである。寺子屋を描いた錦絵に習字の場面が多いのは、そのためである。 寺子屋の学習は「一貫して『書くこと』を土台に進められた」と、高橋敏はいう。書くことによって読む、さらに考える力も身についたのである。 義務教育ではないため、途中で辞める子はいただろう。また、生徒によって成長に差もあったと思われる。それでも入学から6年も学べば、初級から上級まで進むことができたらしい。 ● 授業料は年数回支払い 1回につき3000~6000円 寺子屋に子どもを通わせるには費用も必要だった。入学金と授業料に分かれ、入学金は銭100文。授業料を支払うタイミングは正月・3月・8月・12月の年4回。それぞれ銭100~200文を納めたとの話が、高橋敏の著書にある。 江戸時代の貨幣価値は時期によって異なるが、ここでは1文=30円としよう。100文で3000円、20文で6000円といったところ。授業料は月ごとの支払いや年間の一括払いではなく、数カ月おきに支払うのが多くの寺子屋の慣例だったようだ。 この他、入学時に酒、授業料と一緒に餅などの付け届けもあった。授業料に「定価」はなく、師匠と親との人間関係によって変わり、足りなければ酒や食材など「現物」で支払ったのである。 学習道具は机・硯(すずり)・墨と水入れ、さらに筆・雑巾・半紙など。これらは親が準備した。江戸時代の庶民には痛い出費だったろうが、母親が教育熱心なのは昔から変わらなかったと思われ、生活が苦しくても捻出した。 なお、現在の学校と違い、必ず4月に入学しなければならないわけでもなかった。時期は自由である。6歳の6月6日に入るとよく伸びるといわれ、この日を選ぶ親が多かったという。 また、農村の寺子屋は夏~秋の繁忙・収穫期は休業し、子どもたちは農作業を手伝った。