50年間読み返して痛感…日本国が続くかぎり、「永遠のエッセイ文学」として残ると思う「作品の名前」
永遠に輝く「定子サロン」
大河ドラマ『光る君へ』を眺めていて、「定子の時代」は、それほど長くなかったのか、とあらためて気づく。 ドラマでは15話で藤原定子は中宮に立てられ、20話では自らの手で髪を落としていた。 定子の周囲が華やかだった時代は、意外と短い。 日本の年号で記してみる。(キリスト紀元年にすると年数がずれるので申し訳ない) 中宮立后はつまり天皇のキサキとなるのは正暦元年。 出家したのは長徳二年、正暦で言えば七年。 つまり定子サロンが盛んだった時代は七年ほどとなる。 清少納言が仕えるようになったのは正暦四年ごろとされるから、彼女の見聞はした「華やかな時代」はおそらく三年ほどでしかない。 わずか三年ほどの定子のサロン風景を彼女は枕草子に描き、その景色は千年を越えて国民に共有されることになった。 そして、定子皇后は長保二年(正暦でいえば十一年)崩御される。 数えてまだ二十五であった。 一条帝にあれほど愛されていたのに、帝と彼女の子(敦康親王)は皇太子になれず(もちろん天皇にはなれず)、不遇だったとおもわずにいられない。 枕草子に描かれた素敵なサロンは、じつは長くあったわけではないのだと、ドラマを見ながらつくづく感じ入ってしまう。 紫式部の仕えた彰子は、長命を保った。この時代としては驚異的な八十七まで永らえ、摂関時代のほぼすべてを見ていたことになる。 あらためて「枕草子」が描いた世界は、一瞬の輝きを捉えていたのだとおもいしる。 でも、おそらく枕草子は日本国の続くかぎり、永遠のエッセイ文学として残るのだろう。だから、日本人にとって、定子サロンは永遠に輝いていることになる。 ・・・・・ 【つづきを読む】『一文字空けるか、空けないか…「紙に文字を書く」のが「ふつう」ではなくなった今、揺れ始めている「日本語の表記」』
堀井 憲一郎(コラムニスト)