50年間読み返して痛感…日本国が続くかぎり、「永遠のエッセイ文学」として残ると思う「作品の名前」
読むたびに見つかる「意外な発見」
短いものが多いとはいえ、その章段数は三百を超える。 岩波文庫だと400ページ近く、318段プラス30段ぶんが載っている。 テキストの分量が多い。 通して読もうとすると、なかなか手間がかかる。 だから飛び飛びに読むことが多い。 そのたび、へえ、こんなことも書いてあったのか、と意外な発見があって感心してしまう。 中学のときから読んでいるから(そのときはもちろん教科書で)最初はとても年上のもののわかったお姉さまの言葉としてただ感心して読んでおり、三十代のころは同年代の女性の言葉のように感じていたし(ああ、こういうこと言ってくる女性っているよなあ、という感覚)、もっと年を取ると、いや、若い女性の感覚はなかなか容赦ないな、とおもって読んでいる。 そんな本はほかにはない。 いつもなかなか新鮮なのだ。 文章に力があるからだろう。 そして清少納言が仕えていた中宮定子を、いかに素晴らしい人なのかと褒めそやす部分が、これが時間軸で書かれず、ふと、おもいだしたように、いろんなエピソードがときどき入ってくるので、かえって印象が深い。 中宮定子とその周辺のサロンを描いて、じつに魅力的である。 ちなみに私は「定子」はテイシとしか読めない。大学の講義でこれをサダコと発音した文学の先生は聞いたことないし、たぶんいまも存在しないとおもわれる。
定子サロンのほうが良かったと感じるワケ
大河ドラマでは、幼い定子を父母が呼ぶところがあって、そのときはまだ藤原氏の仲関白家の姫で、さだこ、と親族が呼ぶのはしかたないのだが、しかし、テレビ前で、ええっ、と声を出してしまうくらいには驚いた。いまこの原稿を書いていても、テイシと打って変換している。ときどき、中宮停止と変換されて、ちょっと困ってしまう。 定子のあと、というか、一時は同時期に、彰子も(彰子はもちろんショウシである)一条帝の皇后として宮廷に入っていた時期がある。皇后並列の時代もあった(異様な事態ではある) 帝の周辺は、定子サロンがあって、やや時期が重なりつつ、のちに彰子サロンの時代になる。 定子が藤原道隆(井浦新)の娘で、彰子が藤原道長(柄本祐)の娘である。 定子サロンを引っ張るのが清少納言であり、彰子サロンにいたのが紫式部である。 彰子サロンは長くあったので、ほかに和泉式部や赤染衛門など、名を残す女流文人が多くいた。 ただ、どうしても「定子サロンは華やかだった」と定子側を誉める言葉を目にすることが多い。私は何かの解説書の一文で読んだのだとおもう、若いころから定子サロンは華やかで、彰子のほうはやや落ち着いていた、という印象を持っていて、疑ったことがない。 定子のサロンのほうが良かったよなあ、というのは、しかし、彼女の人生がやや悲劇的であったことと連関しているのだろう。 だから中宮定子の華やかなサロンはとても長くあったように感じていた。 自分が十代のころから五十年に渡って、繰り返し触れているのだから、長く感じてしまうのはしかたないだろう。