【記者のベストレース2024】1年後の〝声〟が持つ意味 騎手なき競馬は、競馬にあらず/和田慎司
和田慎司【中山グランドジャンプ・イロゴトシ】
このレースを〝ベスト〟と称していいものか。さして影響力を持たぬ一記者の原稿とはいえ、ずっと思案に暮れていた。 JRA最長距離を走り抜き中山グランドジャンプを連覇した、イロゴトシと黒岩悠騎手。前年、私は雑誌編集者として、J・GⅠ初制覇を遂げた黒岩騎手のインタビューに立ち会う機会に恵まれた。後続をみるみる突き放す愛馬の背で「〝勝っちゃうよ〟と、馬に話しかけた」と振り返ってくれた。1年後の〝声〟はレースの余韻冷めやらぬうちに、われわれの知るところとなった。 〝感動〟。黒岩騎手が装着したジョッキーカメラの映像が公開されてから、飛び交った言葉。気力を振り絞る人馬の影とともに残された天への叫びに、私もひとりの競馬ファンとして、泣いた。 一方で―。競馬の魅力、ドラマを文字にして伝える側に身を置けば、志半ばで道を断たれた藤岡康太騎手の逝去に起因することは、決して美談にしてはならない。 それでも―。危険も無念さも知る同志だからこそ抱く、感情の表出。2024年のJRA全レースを終えた今でも、脳裏に刻まれ続けている。 「ライバルとして戦っていても、ともに、安全に、レースをつくり上げていく仲間」 以前、ある名手が騎手の関係性についてこう表現してくれたことがある。ジョッキー一人ひとりがしのぎを削り、そして―ネガティブな意味でなく―あうんの呼吸で協力し合うことで、われわれはお金、そして夢も託す競馬を享受できているのだ。 〝騎手=スマホ〟。そんな話題が目立った24年。だが、レースで〝ベスト(全力、最善)〟を尽くすのもまた、騎手である。騎手なき競馬は、競馬にあらず。あの〝声〟に触れた者として、真のプロフェッショナルたちが創出する真剣勝負を、いつまでも尊く思い続けたい。
和田 慎司