カズのJ1復帰の悲願散る。「これがサッカー」
喫したばかりの黒星を振り返った第一声に、四半世紀もの歳月を超えて再現された悪夢と真正面から向き合う、覚悟と決意が凝縮されているような気がしてならなかった。 「これがサッカー。みんな積極的にプレーしていたし、決して腰の引けるような戦いはしていなかった。でも、ああやって最後に、セットプレーからの失点で。サッカーではよくあるシーンなんですけど……」 横浜FCのホーム、ニッパツ三ツ沢球技場内の取材エリア。チームのジャージ上下にブランドもののサングラスとマフラーを身にまとい、ベンチ入りメンバーのなかで誰よりも早く姿を現したFW三浦知良が最初に絞り出した言葉と、1993年10月28日の「ドーハの悲劇」が図らずもリンクした。 J2・6位の東京ヴェルディと対峙した、2日のJ1参入プレーオフ2回戦。90分間を終えて引き分けならば規定により、J2・3位の横浜FCがJ1・16位のジュビロ磐田が待つ8日の同決定戦へ進む。白熱の攻防は両チームともに無得点のまま、7分が表示された後半アディショナルタイムの6分台に突入した。 ここでヴェルディが右コーナーキックを獲得する。キッカーのMF佐藤優平の標的は、ゴール前中央へ攻め上がってきたGK上福元直人。完璧なタイミングで放たれた強烈なヘディング弾を横浜FCのGK南雄太が必死に弾き返すも、こぼれ球をFWドウグラス・ヴィエイラに執念で押し込まれた。 12年ぶりとなるJ1復帰への夢を一瞬にして断ち切られたシーンは、25年前とあまりにも酷似していた。ワールドカップ・アメリカ大会出場をかけたアジア最終予選の最終戦。勝てば悲願の初出場が決まる日本代表はイラク代表を2-1とリードしたまま、後半のアディショナルタイムを迎えようとしていた。 しかし、イラクが右コーナーキックをショートでつなぎ、放たれたセンタリングからまさかの同点ゴールが生まれる。夢を逃し、呆然とピッチを見つめるカズの姿が時空を超えて蘇る。異なるのは日本代表のエースストライカーとして眩い輝きを放っていた男が、51歳になったいまはベンチを温め続けていることだ。 「天皇杯は2試合とも先発で出ましたけど、Jリーグでは先発がなかった。途中交代で9試合出ていますけど、時間にしたら本当に少ないので。その意味では非常に悔しいシーズンでした」