マンハッタンは本当にたった24ドルで売られたのか? 悪名高き歴史的大バーゲンの真相は
米ニューヨークの成り立ちをめぐる伝説、先住民との取引の具体的な条件を検証
現在、米ニューヨーク市の中心街があるマンハッタン島は、一握りのビーズと24ドル相当の現金と引き換えにオランダ人が先住民から買い取ったと言い伝えられている。歴史上最も有名な大バーゲンの一つとして知られる出来事だが、本当のところはどうなのだろうか。マンハッタンがヨーロッパ人の手に渡った本当のいきさつと、取引そのものが今もまだ謎に包まれている理由を見てみよう。 ギャラリー:現存する最古の地図も、ニューヨークの魅惑的な絵地図6点
マンハッタンの先住者
1500年代初頭にヨーロッパからの入植者がハドソン川流域にやってきたとき、そこにはすでに何世代も前から「レナペ族」というアメリカ先住民が住んでいた。彼らは、ハドソン川沿いにある緑豊かな島を「マナハッタ」(現地の言語であるアルゴンキン語で「丘の多い島」という意味)と呼び、ほかの先住民族と交易をしながら、島の豊富な自然資源と動物から季節ごとの恵みを受けて暮らしていた。 ヨーロッパ人はその動物たち、特にビーバーに目を付けた。マナハッタに限らず、初期のヨーロッパ人入植者が北米に多大な関心を寄せていた理由は、動物の毛皮だった。おしゃれな毛皮の帽子や高級品を作るためのビーバーを、自分たちの大陸ではすでにほとんど狩り尽くしてしまったのだ。 さっそくレナペ族と毛皮貿易を始めたオランダの商人たちは、大西洋貿易を独占していたオランダ西インド会社のために、現在のデラウェア州からロードアイランド州までの土地を植民地化していった。同社は、1621年にニューネーデルラント植民地を建設し、ハドソン川全域にオランダの支配を拡大させた。1624年には、マナハッタ島にニューアムステルダムという町が生まれ、オランダ人が住み着いていた。後に、マナハッタは「マンハッタン」と改名された。 1621年にオランダ西インド会社がオランダ政府から与えられた特許状には、現地の「君主および先住民」と契約を結び、貿易を行い、「実りが多く人の住まない土地への入植」を進めることと記されている。ここでいう人の住まない土地を、先住民は先祖代々受け継いできたが、オランダ西インド会社はこれらを植民地化しただけでなく、可能な限り多くの土地を先住民族から買い取った。