<戦後70年>「戦争」とは何か? 脅威の増幅と安全保障のジレンマ
世界各地の植民地化が進んだ20世紀前半。「持たざる国」だった日本は戦争への道をひた走った。あれから70年。日本はなぜ過ちを犯したのか。先の大戦の前後でも、戦争は世界各地で起こっている。近年は、国家間だけではなく「国家vs.非国家」の対テロ戦争の常態化や国家間の関係の流動化も目立つ。 【動画】第一次世界大戦とはどんな戦争だった? 戦争は多くの場合、為政者が「脅威」と「正当性」を掲げる歴史だったと国際政治学者の六辻彰二氏は指摘する。人類にとって戦争は避けられないものなのか。戦争を遠ざける道はないのか。「戦争とは何か」について、六辻氏に寄稿してもらった。
時代を映す「戦争のあり方」
戦後70年を迎えました。世界では中国やロシアが台頭し、イスラム過激派組織ISなどによるテロも横行しており、日本でも安全保障法制をめぐる議論が関心を集めています。戦争のあり方は、時代背景を映すものです。第二次世界大戦終結から70年の節目に、改めて「戦争」を振り返ります。
■帝国主義時代(19~20世紀初頭)
《資本主義が発達、世界各地が植民地化》 人間が集団で生活し始めて以来、土地などをめぐる集団同士の争いで武力が用いられることは一般的でしたが、経済的利益をめぐる国家間の戦争は、帝国主義時代に大規模化しました。 資本主義経済が発達するなか、工業製品の原料と市場を求めて、列強は世界中を植民地化。そのなか、アヘン戦争(1840)のような侵略戦争だけでなく、キューバをめぐる米西戦争(1898)のような列強同士の衝突も頻発しました。科学技術の進歩で兵器の破壊力が増し、戦闘の犠牲者が急増したのも、この頃でした。 しかし、この時期、少なくとも列強の間では、戦争は国家間の関係において避けられず、良いものでも悪いものでもないという「無差別戦争観」が一般的でした。プロイセン軍参謀長カルル・クラウゼヴィッツが『戦争論』(1832)で「戦争は異なる手段をもってする外交の継続」と論じたのも、この頃です。弱肉強食の時代背景のもと、戦争は「国家の正当な権利」として積極的に認められていたのです。 民主主義が発達途上で国民の発言力が限られていたことは、こうした政府の戦争指導を容易にしました。ただし、この時期、各国で産業化が進み、農村が徐々に解体されるなか、「国家」に結びつきを覚える人々が増え、各国でナショナリズムが高まっていました。そのため、日清戦争(1894)や日露戦争(1904)の勝利に日本各地で提灯行列が繰り出したように、自国の保全と領土拡張のための戦争は、各国で多くの国民に受け入れられていたのです。